愛着の基本的なかたち

1 愛着について

 愛着とは親子の相互交渉によって要求とその満足の関係が緊密になることである。

 生まれてすぐの赤ん坊は母親の声に最もよく反応する。体内にいるときから声を聞いているからである。胎児は一つの受精卵から成長してくるときずっと母親の声を聞いているので、母親の声は赤ん坊の身体全体にいきわたっているはずである。ここにすでに声を通じた関係が成立している。

 生まれて間もない赤ん坊はややグニャグニャして抱きにくいが、しばらくすると抱かれる姿勢をとる。やや肩をすぼめ、顔が緊張する。身体は硬くなり、抱きやすくなる。

 抱かれる姿勢をとった赤ん坊はある程度緊張しているわけだが、抱かれることによってリラックスすることを覚える。寂しいときも、怖い目に遭ったときも抱かれて安心感を持つ。抱かれること自体が心地よく、安心感があることを知る。ここに身体的な接触要求の起源がある。

 生まれてきた赤ん坊は母親を注視する。目と目の接触である。養育されながらいつも母親の目を見ているので、母親の目、母親の顔が最も親しみ深いものになっているはずである。互いに見つめあい、目という心の窓を通して気持を通い合わせることを経験していく。

 赤ん坊は生まれる前に母親の声は聴いているが、顔を見るのは生まれてからある。始めは母親の顔も他の人の顔も同じかもしれない。赤ん坊は目のついた顔を注視する。養育者の優しい顔が接近すると微笑する。無差別の微笑である。成長するに従って母親の顔を識別し、見知らぬ人が近づくと怖がって泣く。これが人見知りである。人見知りが始まったことは、養育者である母親とそれ以外の人を区別しているのである。この段階で母親への特別な愛着が始まる。

 授乳をしながら、母親は子どもと乳房を通じて接触する。子どもが乳房をくわえ、お乳を吸うと母親はうれしい。赤ん坊がお乳を吸うのをやめると、母親は赤ん坊をゆする。すると赤ん坊はまたお乳を吸う。しばらく吸うと止め、また、母親が赤ん坊をゆする。赤ん坊がお乳を吸っては止め、それに対して母親が赤ん坊を揺すり、お乳を飲み始めると言うこのリズムが、母子のコミュニケーションの基礎として大切であることを、正高信夫は母子に密着した観察で明らかにした。

 母と子の会話、言葉のやり取りは、母子関係の重要な要素になっている。赤ん坊が泣く。すると母親は情況判断から、赤ん坊は何を求めているかを推測し、赤ん坊が求めているらしいことをしてやる。それが当たれば、赤ん坊は自分の泣き声で気持が通じたことを経験する。赤ん坊は手足を動かし、前進の身振りと泣き声で自分の気持を示し、母親にわかってもらう経験をする。赤ん坊の気持の表現は全身で行なわれている。その気持を受け取りながら世話をやいていくことで、母と子の心の交流は発展していく。

 泣くことで呼吸のコントロールの仕方を覚え、さらに顎や舌の動かし方を覚えて、言葉を発するようになる。泣く子どもは育つと言われるのはこのためであろう。幼児語や構音障害の一部のものは、子どもが元気良くなって、呼吸や発声機能が活動的になることによって改善されるので、発達のわずかな不調和であることがわかる。

 8ヶ月不安というのがあって、子どもは母親が自分の傍にいないことを意識するようになる。夕方の忙しいときに子どもが良く泣く。寂しいことがわかり、母親が傍にいることを求める。赤ん坊が泣いたら傍に行って声をかけたり、ちょっとあやしたりすると、その繰り返しの経験によって、母親が寂しい心を満たしてくれることがわかる。傍にいるだけで安心するという愛着の仕方がある。

 言語機能が発達し、言葉でいろいろなことを要求するようになる。それについて母子が話合って子どもの要求の満足について考えていくことが大切である、自分の要求について話合いながら考えて行くという、欲求不満耐性のある生活態度が次第に親との話し合いの中で形成されてくる。要求の満足ができなければ、何故できないかを説明して、互いにわかり合っていくことの経験が大切である。

 ここに話し合いという言語的な愛着の新しい段階が成立する。

 もっと成長すると、自分の行動によって危険を経験したり、怖い目に遭ったりする。窮地に陥った自分を母親に救われることによって、母親を信頼できる人として経験する。外へ積極的に出て行くようになると、疲れたときや怖いものにあったときに帰り、逃げ込める安全基地としての役割を果たす。

 これら一連のものから心理的愛着は成り立っている。

 声の接触、目と目の接触、身体の接触、母親という特別の依存対象の識別、身近にいるという安心感、言葉による気持の接触、孤独や危険からの守りや休息の場としての安全基地、外であったことの詳しい報告も経験の共有と言う接触である。愛着行動は身体接触に限らず、目と目の接触に始まり、言葉の発達や行動範囲の拡大と共にその様式が変化し拡大していくのである。単純化すれば、目と目の接触、身体接触、言葉の接触、安全基地などが愛着の基本的な要素であるといえるだろう。普通の人にとっては身体的な接触のもたらす安心感、そして、おしゃべりな会話は愛着の重要な要素である。

 このように見ると、愛着は持続的な気持の交流のある人間関係の基本であり、持続的愛着の能力が人を支えているのである。

 発達心理学で、愛着と言う場合、基本的には目と目の接触と身体接触までを指すことが一般的である。ここに示した愛着の考え方は、筆者の臨床経験に基づいた、かなり拡張された考え方である。特に、おしゃべりによる接触感はこれまでにはなかった発送で、独自の見解である。この点は多くの臨床家に納得してもらえるのではないかと思う。