カウンセラーの仕事は個人の個性化を助けることである。そのためにクライエントとの面接の中でその人がその人らしくなることをいつも考えている。そのことがカウンセラーの性格にも影響して、次第に個性化志向の人格になるのではないかと考えた。
個性化した人は考えが他と違っているだろう。そして自分にこだわるのではないか。その自分らしい人格は経験に基づくことから出来上がっていく。カウンセラーにとって経験を省みそこから意味を見出して、考えを確かめていくことがとても大切である。経験に基づいてその意味をあれこれと考える。その考えはいつもある妥当な線を行っているだろう。常識的に見て一応うなずける考えである。しかし、その考えが普遍的であるということはまた別である。そこを自分にこだわるカウンセラーは自分の考えは普遍的であると思ってしまうかも知れない。私はそういう過ちを多く犯してきたのではないかと思うが、これは誰も指摘してくれなかったからわからない。ただ、あなたはいつも自分こそ正しいと思っているといわれたが、具体的には何もわからなかった。今やっと私は自分の問題の起源がある程度推測でき、そして自分にこだわってきたところが少しわかったに過ぎない。
カウンセラーは頑固で、自分の考えは正しいと思っている、それはやや妄想的な特異な人格である可能性があるのではなかろうか。他の領域の人びとと話し合うとき、妄想的であるということは常識を超えて積極的に出て行く、攻撃性に支配される危険を持っているということである。妄想的な人の考えを修正することはとても難しいことの一つであることを私は思い起こす。妄想的な人は興奮しやすく、薬は利かないし、心理療法もほとんど聞かない、精々、なだめるだけである。
クライエントと長く付き合い、共に考えていくうちに、クライエントが私たちの人格を取り入れていくように、私たちもクライエントの、あやふやで、いつも考えこみながら、自分を離れられず、頑固で融通の利かない性格になるのではないかと危惧するのである。
私はこの性格を肥後もっこすと郷里の独特の性格に由来していると考えてきたが、案外仕事の中で次第にゆがんできたのかもしれない。
この点からも自分が経験の中から作り上げてきたものを書いて捨てることは大いに意義あることであると考えたところである。