仕切り屋さんについては以前にこのHPに書いたことがある。今度新しいことに気づいたので、そのことをメモしておこう。
家の中に仕切りを入れて囲うとそこに空間が出来る。そこを自分の部屋にすると誰にも犯されずに安心していることが出来る。仕切りとは安心に役立つのである。
仕事の段取りや組織を仕切り屋さんがうまく仕切ってくれるとスムーズにことが運び、仕事がやりやすい。話し合って決める面倒さがなくなるのでありがたい。一方、この仕切り屋さんの思慮が浅いといろいろいたらないところが出てきて不満がたまって行く。それでも仕切り屋さんに任せている限りことは運んでいく。仕切り屋さんは機械を動かすコンピューターみたいなものである。
仕切り屋さんの働きはグループの働きを整えるのに役に立つが、それは仕切り屋さん自身にとっては自分を安定させるためにしなければならないことである。人間関係を仕切らないと仕切り屋さん自身が不安定になるのである。そのことが以前仕切り屋さんだった人と話していてわかってきた。
子育てにおいても、子どもを仕切ろうとする。子どもは自由にしたいから思ったとおりにしたい。それがお母さんにはわがままに見える。何で言うことを聞かないの!ということになる。子どもの要求を聞き入れないで、親の要求を押し付けるのである。子どもが親の気持ちをいつも汲んで期待に添って動いてくれるとよいのだが、一旦、自主的に動くことを覚えた子どもはもはや親の要求に従ってばかりはいられない。それを仕切ろうとするのはとても難しい。でも、仕切る親は仕切ることしか出来ない。そして言うことを聞かない子どもに対して怒り、攻撃する。ここに虐待の原因がある。
なぜ、仕切る親は子どもの気持ちを汲まないのか?なぜ、言うことを聞かない子どもに怒りを爆発させ、理性をなくして虐待に身を任せるのか。
良い仕切り屋さんはグループの人々の気持ちを汲んで仕切る。一方、わがままな仕切り屋さんは人の気持ちを汲まないで、自分の気持ちのまま仕切る。人の話を聞かないで、自分の考えや気持ちを押し付ける。
わがままな仕切り屋さんは、親から自分の気持ちを汲んでもらったことがないのではないか。親に話をしようとしても聴いてくれない、聴く耳を持たない親に育てられていると思われる。
親との間で気持ちを通わせた人はグループの仲間とも、子どもとも話ができる。面と向かって気持ちよく話が自由にできる関係が大切だ。その話の扉が未だ開かれていない人が、人間関係の中で安定しようとするとき、仕切りによって、つまり、あまり話し合わないで安定しようとするのである。
これまでの日本人は相手の気持ちを汲んで気を配った。それが今では、言わなければわからないでしょうということになった。だから本当に話し合うことが必要なのだが、過渡期の今、気持ちを汲むことも、話を聞くこともできない人たちが大勢いる。その一端に虐待があるように思われる。