心の賞味期限

 この文章を書き始めてふと横を見ると、何と10センチ近いトカゲがひっくり返って死んでいる。また一番若い猫のろくちゃんが、賞味する気もないのに、捕ってきて私の傍に置いたのだ。それは私へのプレゼントのつもりらしい。トカゲには本当に申し訳ない。無駄に命を失わせてしまった。彼はまだ子どもではないかと思う。私に見せるだけで、捕まえたトカゲを賞味してくれないのははなはだ残念である。

 先週の発見は心の賞味期限である。

 ある抑圧の強い知性的な男性が、期限切れのシリアルをもったいないと思って食べたがまずかったという夢を見た。この夢を最初聞いたときは何のことかさっぱりわからなかった。次に自分で声を出して読んでみると、賞味期限切れの心という連想が浮かんだ。

 お経は黙読してもわからないときは声に出して読んでみるとわかる、と宗教学者紀野一義さんがどこかで書いていた。その方法を私は夢解釈に応用している。声を出して読んだら直観がひらめいた。

 彼は感情を抑圧していて、しかもそれはシリアルのように乾燥して干からびているのではないかと思った。

 シリアルって何ですかと聞くと、コーンフレークのようなものだそうである。最近の新しい言葉に疎い私は聞かなければわからない。そんなこともわからない私は現代の夢分析家として資格がないように思えるが、かえって知らない方が良いこともある。こちらの先入観で解釈しないで済むのである。彼はシリアルの説明に続けて、そのシリアルは一部が水にぬれたようになっていたという。そんなものまで夢の中ではもったいないとして彼は食べたのかと思った。

 賞味期限を超えた心を彼はまずくても食べなければならないのだ。抑圧された心がやっと少し見えてきたのではないか。

 包装されたシリアルが一部水に濡れたようになっていたなんて不思議ではないか。

 乾燥していたものが袋の中で水分を含むということはどういうことなのか。

 夢では時間が逆に動くことは珍しくない。死んでいたものが生き返るとか、乾いて岩のように硬くなった心から涙が泉のように湧き出てくることはある。

 彼の乾いた知性に抑圧された心が少し水気を取り戻したとしたら喜ぶべきことではなかろうか。

 まずいけれども、もったいないから食べるという彼をすばらしいと思う。こうして賞味期限を過ぎた心を賞味できるものにしていくのが心理面接である。

 

 心の賞味期限は案外短い。間髪を入れずという言葉がある。ある坊さんはいつまでも悟れなくて悔しいと思ったのか、路傍の石を蹴っ飛ばしたら傍に生えていた竹に当たってカンと音がした。その瞬間に悟ったという話がある。心の交流もこのようでありたい。