岸恵子さん親子のことはすでにどこかに書いたように思うが、ここに再度取り上げることにする。
今年の正月、岸恵子さんへのインタービューがテレビ放映された。そこで岸恵子さんは、娘さんに「もう親子ごっこはやめましょう」と言われたと話された。母親の岸さんは久しぶりにお昼の時間が空いたので娘さんを誘って食事に出かけようとした。ところが娘さんは「あなたは私の母親ではない、あなたは私に何でもさせてくれた。実は危ないことをしようとしていたのに一度もとめたことが無い、そんなの親ではない。だから親子ごっこはやめましょう。」と言ったのだ。彼女の驚きは相当なものだっただろう。
このことは文化の差もあると思った。フランスではダメなことはダメと親は子どもに言うのだろう。それに対して、日本の親は子どもがしたいことは何でもさせ、経験を豊かにさせてあげたいと考えている。やっていると危険なことは自分でわかるようになるというのが日本人の考え方だと書いたと思う。
このことを私は何かで確かめられないかと思っていた。先日、運動のためにブックオフまで歩いていった。そこで岸恵子さんの『私の人生ア・ラ・カルト』講談社(2005)を見つけた。
親と子の哀歌と題して上記のことが書いてあった。大学に入ったばかりの娘に「ママンは私に自由をくれ過ぎた」と言われ愕然としたと。娘「あまり自由にされると夢も意欲も凋んじゃうのよ。・・・今から軌道修正は無理よ。私は孤独と折り合って、今は上手くいっているのよ」。「私の子どもは厳しく躾ける」という娘に「親の逆をやるのも能が無いわ」というと、「大丈夫、私は子供の気持ちを見極められると思う』と言ってにっこり笑った。
孤独と折り合って生きているという娘に、「何とさびしいことばだろう」と思いながら、「躾の厳しい、窮屈な家庭に育って、自由に憧れ、親への反抗心がバネとなって、未知の可能性へ向かって挑戦していった」自分を省みている。
この本の帯には、「可笑しくって切ない『ドジな女』の波乱の人生」と謳い、「パリ、中東、アフリカ、ハリウッド、日本、・・・女優、作家、ジャーナリスト、そして母、娘、妻として駆け抜けた」とあった。
上の言葉からわかるように、岸恵子さんは才能豊で、いろいろな可能性を求めて世界を飛び回っている人である。今もそうではなかろうか。このように活動的な母親の下で育った娘はどんな気持ちでいるのだろう。岸さんは「何とさびしいことばだろう」と書いているが、果たして娘の気持ちをわかっているのだろうか。
娘と一緒に暮らしたいという母親に、娘は「そこまで子供の世話になっちゃ駄目」「淋しさなんてものは、それぞれ自分で始末をつけなきゃ駄目」(母と娘、それぞれの孤独)と言った。この言葉は今では私たちの面接場面で役に立ちそうである。日本の親子関係もそこまで来ていると思った。
娘は母親が日本に行っている間に、一人暮らしをしてみたくて、マレ地区の貸し部屋を見つけ出て行った。そこへ行って彼女が見たものは、私の想像も超える。何百年もの間に磨り減って、真ん中がくぼんだ階段、いびつな扉、底が抜け、錆びたスプリングがむき出しになったソファ。座るとお尻が痛い。家主さんの新婚時代の思い出の部屋で、それをそのまま大事にして使うという条件で借りたということに驚く。台所とシャワーとトイレが雑居している。その日は雨で盛大に雨漏りしている。雨の日はシャワーを浴びないという。来週職人さんが屋根をなおしてくれると。娘は、「ここの住み心地はとてもいい、あたしとてもしあわせ」と言ったのである。
岸さんはこんなぼろい貸し部屋に住む娘の気持ちがわからなかったに違いない。
私は故郷を離れて京都に出て行ったときのことを思い出した。家賃最低のところだったが、私の心にはぴったりのところだった。居心地は良かった。私の後には同じ教室の、やはりお金の無い後輩が入った。その人も満足していたらしい。病気のために早く亡くなられたと聞いて残念だったが。
私はこの娘さんの部屋の情景を想像してみた。女優、ジャーナリスト、作家などとして、世界中を駆け巡る母親の家庭の雰囲気は娘が選んだ古い貸し部屋のようではなかったかと思った。その現実をしっかりと受け止め、少しずつ整えて自分の住まいにしていく娘の生き方に感動を覚えた。
皆さんはどう感じられるだろうか。
明石大橋の建設にかかわられた工事現場の監督さんが講演で、幸せな家庭を作ることは大橋を作ることよりずっと難しいとおっしゃったことを思い出した。その方は大橋工事中に奥さんが病気で亡くなられたのだった。明石大橋はできたが、家庭は父子家庭になって寂しくなっていた。幸せな家庭を作ることは何よりも難しい。最近の若い人たちは仕事よりの家庭という人が多くなった。心理臨床の業界は他よりその傾向が強いのではないかと思う。まだ、発足して間もなく、忙しさもそれほどではなく、家庭が崩壊するほどでは無い。お金は儲からないけれど、世の中の流れを横目に見て、心豊かな、それも人の苦しみを傍に感じているわけだが、とても人間的な生活をしているのではないかと思う。