自分に向かい合うために 個人分析の必要性

(9月の下旬は集中講義や学会で忙しかったので、HPのエッセイも少し休みました。お許し下さい。今度の集中講義や学会ではいろいろと考えさせられることに出会ったので、書きたいテーマもできました。待っていてください。)

 

 社会人入学の大学院生にどのように付き合っていくか、これからの私にとっては大きな課題になった。前任の大学院でも社会人入学者はあったが、女子大であったせいか、皆さん従順で、こちらの指導にあわせてもらっていたらしく余り問題ではなかった。ところが今回は大いに違った。社会人といっても社会経験がみんな長く、経験も知識も今までとは格段に違っていたのではなかろうか。前任校でも同じだったかもしれないが、私がうかつにも気づかなかったのかもしれないが。

 現職教員を多く入学させる大学院で教える先生から、40歳を過ぎた先生たちにカウンセリングを教えるのはとても難しいと聞いたことがあった。そのときその大学院は教育委員会から推薦されてくる人も多く、自分で選んだ目的と意欲で大学院に進学している人たちばかりではない可能性があるので、そのせいかと考えていた。しかし、今回社会人を前に教えてみて、難しいと思った。みんな知識も経験も豊かでフィロソフィーをもっていらっしゃるのだ。

 今度のクラスはハッキリと臨床心理士になりたいと思って大学院に入ってきている人ばかりであったから、目的も意欲もある。それでいて難しいと私は感じたのである。

 考えてみると、河合隼雄先生が学ばれたチューリッヒのユング研究所も、その当時博士号を持っていることが入学条件であった。鑪幹八郎先輩が行かれたニューヨークのウイリアム・アランソ・ホワイト研究所(WAWI)も同じである。博士号を持ち、しかも多少とも心理臨床の経験があると、大体40歳くらいになっている。河合隼雄先生がユング研究所に行かれたとき他の人びとはもっと年上だったらしい。そういう人にユング派の分析心理学を教える場合どうしていたのか興味を引かれる。

 チューリッヒのユング研究所も、ニューヨークのWAWIもどちらも教育分析を義務付けている。この教育分析は個人分析とも呼ばれる。教育分析というと、普通の悩める人の分析ではなく、一段高い分析のように思え、私たちはクライエントより偉いのだと考える人もいるので、最近は教育分析でなく、個人分析というようになった。

 個人分析はフロイトもユングとても大切にした。しかし、現在では個人分析まで受けてカウンセラーになろうという人はほとんどいなくなった。社会人入学大学院生も同じである。

 そこで日本の心理臨床の業界を見渡してみて、つくづく思うのは、新しい技法や理論が紹介されるといち早く飛びつく人が多いことである。流行が激しく、次々学会で話題になるテーマも変わっていく。河合先生があれほど慕われたのに、グレートマザーもシャドウも、セルフも死と再生も忘れ去られてしまった感じである。ユング心理学だけでなくフロイト精神分析も認知心理学に取って代わられようとしている。

 しかし、このような変化の中で、個人分析をしっかりと受けた人びとは泰然自若として自分の方法で心理臨床に徹しているのではかなろうか。このように見ると、個人分析を受け自分と向き合った人はしっかりと自分の道を歩み、個人分析を受けず、学会の発表に出てくるものを見ている人は、自分に向き合わず、心理臨床の理論を見ていて、その理論で心理臨床ができると考えているのではないか。

 心理臨床の理論は科学的な理論だから良いのだと思っているのだろうが、フロイトの精神分析にしろ、ロジャーズの来談者中心療法にしろ、個人が考え出した理論である。理論というからには一応考えの筋は通っているのだが、それは合理性のある妄想でしかない。精神分析はみんなに認められているから妄想でではないと考えるだろうが、共同幻想を考えなければならない。私たち戦中派は「お国ためにという愛国心」が共同幻想であることを肌身で感じてきた。戦後の民主主義も共同幻想であった。現在認知療法に可能性を見出している人は多分認知療法の可能性を信じているに違いない。

 私たち心理臨床に携わる者は、このような心理的な現象をしっかりと自分の心の目で観察する必要がある。

 また、私たちはこれまで人生経験で培った知恵、人生哲学、そして、多くの本で学んだものをいっぱい持っている。これらの心的内容について、他者の前でしっかりと見直して見る必要があるのではなかろうか。その作業をするのが個人分析であると思う。いろいろな人生哲学も、多くの人との接触も自分以外の他人との関係の中でもう一度見直しをして社会化するひつようがある、それが個人分析である。自分と向き合う中で、しかも、もう一人の人間の前で検討するのが大切である。自分一人では社会化ができない。これは人に通用する人間的な判断力を鍛える作業だと思う。ユング研究所やWAW研究所ではその故に個人分析が義務付けられているのではないか。

 これから独立した臨床心理士になるために、個人分析を受けられることをお勧めしたい。

 

 また、これまで個人分析をした経験から言うと、個人分析を通じてユング心理学を深めようとした人よりも、自分の内面の深みに向って進んだ人の方が社会的に広く活動するようになっている。社会性を培おうとするなら、まず、自分の内面に目を向け、先ず、それを人に語る力を身につけることである。それはまたクライエントの会うための礼儀でもあると思う。