「母を殺せ」という題で佐野洋子さんがエッセイを書いている。
佐野洋子さんは、兄をかわいがる母を見て、自分は母にとってそれほど大事ではなく、息子が大事であると気づいた。そして自分が息子を持ってみて息子がかわいいと思う自分に驚きを感じている。それは自分だけでなく友達もみんなそうであると結論づける。
私も確かにそうかもしれないと思う。これではマザコンの息子になっても仕方が無い。男はみんなマザコンで、母親にはでれでれしている。母息子の対立はあまり聞いたことが無い。家庭内暴力では息子が母親に暴力を振るう。息子は母親に死ねとか出て行けというが、母親は、息子に出て行けとか死ねとかは決して言わない。
最近、母娘の厳しい関係の事例が多く、母娘が何年も対立したままという事例や、母娘の喧嘩が耐えないとか、何十年も連絡が取れない関係が出てきた。このような事例から、娘は母親を憎み、殺したいような激しい気持ちがあって、母を殺せとなるのかと思った。佐野洋子さんにはお兄さんがあって、お兄さんばかりに思いを寄せるお母さんをよく思っていないところがあった。そのことは最初のエッセイ集『私のねこたち許してほしい』に出ている。だから、エッセイの表題を見たら娘に母親を殺せというのだと思った。
「母を殺せ」を最後まで読んでみて驚いた。「男の子は十歳になったら、内なる母を殺せ」というのである。「自分勝手な気味悪い母は自らを殺したり絶対しないからね。」というのである。私はこの結末に驚いてしまった。何と身勝手な、愛する息子に自分を殺してほしいと願っている。そして、生身の自分は生き残って息子をかわいいと思うのである。何かおかしい。これは女の身勝手な論理である。自分はいつまでも死なないから、死ぬときは息子に殺されたいという願望が母親にあるのではないかと思ってしまった。
息子ばかりかわいがる母親を娘が殺したいというのならわかる。それは女性のなかには無いらしい。女性の世界には喧嘩は多いが殺し合いはない。殺し合いをせずに、ぷっつりと関係を断ってしまうのである。だから何十年も音信不通の関係になるのである。
その音信不通の関係を死ぬまでに回復するにはどうしたらよいかと今考えている。
母親にでれでれとかわいがられたマザコンの男に言わせると、母親に特別にかわいがられたから、愛する女性にもでれでれとし、嫌われても愛し続けるのである。それをストーカーといわれることもあるが、男のそのような愛があると女性も何となく安心していられるのではなかろうか。やさしさのほしい女性はマザコンの男性と出会うことになる。それは間違いない。