心の生活を見ると、感じたり考えたりするところと、気まぐれに何かやりたくなったり空想したりする生活がある。感じたり考えたりするところを表の心とするとその裏に感情や考えが生れ出てくるその元のところがある。そこは気まぐれや空想の近くにあって、それらが生れ出てくるところで、其処だというはっきりしたところは無いけれど、そこも心の領域である。いわば深層の領域である。
心理面接でその表の感情や考えを取り上げて話し合っていくやり方がある。そこでは例えば、親に対する気持ちや考え、友達や仕事への気持ちや考えを理解して、その関係をどのように生きていくかを話し合っていくやり方がある。
ここでは当然、現在の対人関係のあり方を、つまり、転移や逆転移といわれるものを取り上げ、しっかりと考え、話し合っていくことになるだろう。
それに対して、感情や考えの裏のもっと深い深層の部分、そこに意識があるといえるかどうかわからないが、深層意識に焦点を当てた心理面接があると思う。
深層意識の面接では、クライエントは考えて話しをするのではなく、思いつきでしゃべる、次に何が出てくるかわからない話し方になる。思いつきでしゃべるようになると深層の心が出てくる。その典型は子どもの遊びである。子どもの遊びの中には、気持ちや心の目で見た家庭の状況などが如実に出てくることがある。箱庭も遊び心で作るとそうなる。
感情は抑制を超えてかなり自由に出てくる。半ば真剣になってくるので泣いたり怒ったりすることもあろう。時間の制限がなければ2時間も3時間もまくし立てることがあるかもしれない。家庭や友達との関係でもそのようなことが怒りがちになるだろう。精神分析的に言えば、アクト・アウト、行為化である。心理面接の内外で自由に行動し始める。
心を開いて自由に行き始めると、深層の心の働きで関係が広がり始める。偶然の出会いが新しい世界を導いてくれる可能性が出てくる。偶然の出会いが生きた関係になって展開するのである。だから、考えても見なかったことが表れる可能性がある。
でも、このような心理面接は意図してできることではない。全く偶然の支配する世界であるから、意図的な考えの世界とは対立する。全く意図しないところに生じてくるのだ。全てを自分の考えで統制して間違いのないようにしようとするタイプには到底わからない領域である。河合心理学はそういう心理学であると思う。
感情や考えを取り上げる面接でも、遥か遠い幼児期の経験のほのかな記憶や、現在の感情や考えや行動の背後にあるほのかな意識を取り上げて話をすると、これも深層意識での面接となる。このやり方は、遊びとは反対の、徹底して真面目な真剣勝負のような話し合いの面接になるだろう。それが小倉清先生のやり方である。スーパービジョンもそのように行われるので、小倉先生に事例を見てもらう人は挑戦するような覚悟が要ると感じるようだ。
余談になるが、河合隼雄先生は分析のときに私の話しが面白くないと眠ったようになって時間が来ると目を覚まされた。それで私は自分を省み、つまらない話をして無駄な時間を過ごさせたことを恥じた。しかし、人の話では先生は眠ってしまったり、気がついたら先生の姿が見えなかったということもあるらしい。先生は全く意図しないからつまらないと言う代わりに眠ってしまたったり、居なくなったりされたのだろうと思う。それでも突き放すのでなく、しっかりと関係はもっておられたと思う。だから、30年以上も続いていた治療関係があるのだと思う。