箱庭療法への導入法

 日本箱庭療法学会研修部主催の中部・北陸地区研修会が愛知教育大学教育実践センターで行われた。この回の内容は箱庭の制作実習であった。

 いつものように、会場と時間割の説明があり、「さあ、作ってください」と始まった。会場を見回り、我先にと作り始めた人もあって、滑り出しはスムーズであった。

しかし、後の感想を読むと箱庭療法への導入のオリエンテーションがもっとあった方が良かったという人が何人かあった。

 以前から、箱庭療法への導入は玩具を見て好きなものを作ってくださいというものであった。子どもに実施する場合は、大抵遊戯療法のなかでやっているので、子どもが関心を示せば「やってみる?好きなようにしていいよ」ということで済む。簡単である。

しかし、大人の場合は、箱庭療法ということがかなり広く知られているとはいえ、やはり導入の案内がいるようである。

 最近は、私は、話や夢分析を中心とした面接で、残り少ない時間でも、できるだけ箱庭を作ってもらうようにしている。

 私の箱庭は面接室に置いてあるので、嫌でも目に入る。

 箱庭に関心がある人には「箱庭を作って見ますか?」で済むこともある。

 話しだけの人や夢分析の人には、「箱庭には意外な側面が出てくることがあります。作ってみませんか」と誘う。

 「箱庭療法は遊びです。遊ぶと自分の本当のところが出てき易い。自分を見つけるために箱庭を作ってみてください」。

 「箱庭を作ると自分の世界が出来てきます。人は自分の世界を持つことが大切です。出来るだけ毎回箱庭を作って自分の世界を作っていくことにしませんか」。

 私はこのような呼びかけで、できるだけ毎回箱庭を作ってもらっている。

 毎回、箱庭を作ることは大変な努力がいることだと思う。玩具を見ても感興が湧かない人がある。その場合はなかなか出来ない。

 出来ないときは、この箱の中は遊びの世界で何をしても自由なので、考えに捉われないで、玩具の中から興味を引くものを先ず選び、それを置いてみて、それから展開していくものを作ってくださいという。

 この箱の中は、自由で何をしても良いということが大切なようである。

 何をしても良いというと、巨大な恐竜を置く人もあるかもしれない。その場合は、自分が肥大を起こしやすいから、何をしても良いということは強調しない方が良い。大きなものを使って活動的な情景を作る場合は、その肥大した自我を普通にレベルに納め、日常の常識レベルとのつながりを作らなければならないので、より一層制作者の現実と関連させながら見ていく必要がある。

 反対に、抑制的で、小さなものばかりで作ったり、静かで整って平和な世界が作られた場合、そのイメージの背後にあるものや外側にあるものを考えながら見ていく必要がある。

 一般に箱庭療法体験セミナーでは、多人数が参加しているので、みんなが見ている前で箱庭制作をする。そうすると人に見られるのが気になる人がある。愛知教育大学での箱庭制作実習では、そういう人のために、他人に見られないで、一人で作る箱庭療法の部屋が用意されている。実際その部屋で制作された人の場合、個人的なものが大きく表れ、印象的であった。この体験をされた方は他の部屋での人の制作の様子を見て違いに気づかれたかもしれない。しかし、このような違いには本人は意外に無意識で指摘しないとわからないかもしれない。経験された方はこの点を考えていただきたい。公開できないので、わかりたい方は次に体験してみてください。

 ある人は作り出したら周りの人のことなどわからなくなったという。ある人は前に制作した人たちの作品を気にかけていたけれど、作り出したら自分のものしか作れなかったという。イメージに没入すると周りのことなどわからなくなるのである。

 箱庭療法を実施するときは必ず誰かついているようにする。

 制作するのをどんな態度で見ているか、それは誰もが気にかかることである。

 箱庭療法の目の付け所はどこですか?その答は以前は難しかった。自分も共に作るような気持ちで内的に体験しながら見ているのが最も良いとされていた。

 しかし、最近は違ったかかわり方が出てきた、大住心理相談室の大住誠先生はクライエントの制作に背を向けて座り、瞑想し、自分の内面に浮かんでくるイメージを観察し記録している。このやり方は今までの実施方法とまったく違っている。

 この方法は、あるクライエントが箱庭制作時に見ていられると嫌だから先生は後ろを向いていてくださいと要求したことに始まっている。実際、作るところを見られていると意識すると恥ずかしい。だから、出来たら言ってくださいと言って、見ないでいる。大住さんはそのとき瞑想して、自分の内部に出てくるものを観察し、記録している。治療者も、クライエントも、平行して自分の内面に集中する。このことが響き合って微妙な治療効果をあげているのかもしれない。

 私の場合は夢分析も行っているので、夢も含めて、いろいろなことに考えを自由にめぐらせている。そうするとクライエントも自由になるようである。治療者が内面に集中的に向えば、クライエントをそうなって、箱庭表現が深まるのかもしれない。

 箱庭表現には浅いものも深いものもある。イメージ表現のその幅の広さが箱庭療法の特徴の一つである。

 人前で普通の人が作ると普通の世界が現出しやすい。そこは大抵平和で安定していて平凡である。その平凡さを破るために、1日に2~3回作ってみることを薦めたい。今日の実習の一部の人にはそれを勧めた。その結果より内的な深いイメージが表れたと思った。

 これは韓国での箱庭療法研修から学んだものである。

 ソウルで、私の箱庭療法のセミナーをするというので、10人ほどの参加者に各自10個の箱庭療法を作れという主催責任者の指示が出ていて、全員が1ヶ月ほどの間に10回の箱庭作品を作った。それらを私は事例として全員の前で見て、コメントをした。

 

 1ヶ月の期間で、しかも箱庭療法の用具が満足に整っていない臨床心理士は、あり合わせの材料で箱庭作品を10個作っていた。しかも、制作日数が足りないために1日に3回箱庭を制作した人もあった。それが見事に展開しているので、私はそのとき集中箱庭療法が可能であると直感した。今回は、一部の人が2回制作したのだが、これからは集中箱庭療法を試みても良いのではないかと思っている。これは強制的箱庭療法導入法である。