夢分析の行き着く先はどこなのかと考えたことがありました。長く分析を続けた例は少ないので、あまりしっかりしたことはいえないのですが、最近思い切って言ってみるかという気になりました。それは氏原寛先生が河合先生に35年間も分析を受け続けていて、ついに終わらざるを得なかったけれど、これまでにピンとくるようなものが無かったと、追悼文に書いていらっしゃったからです。みんななるほどと感心するような夢を見ているのに自分にはそういう夢が出てこなかったというわけなのです。
私は数年の分析体験ですが、夢分析を受けて次のようなことがわかりました。
第一に、現実の生活経験よりも、夢のプロセスの方が真実ではないかという感覚を持ったのです。夢のシリーズの底に流れるいのちの確かな流れがあって、それに支えられて現実の生活があるという感覚です。
私は今までユングやフロイトを学びましたが、動物行動学も私の考えを支える大きな柱の一つになっています。勿論、現実に興味深い動物行動学の本を読みましたが、それが夢によって心に深く印象づけられたことは間違いありません。
第二は、夢に見たことが将来実現するということです。夢で見たイメージが人生を導いて行くのです。河合先生の“燃える城”は日本心理臨床学会や日本臨床心理士会となって実現し、“太陽の女神”のイメージは暖かい光となって多くの人の心を暖め、人生を照らし出しました。私にもささやかですが、自分を支え導くイメージがありました。それが実現したと思ったとき、新たに自分を導くイメージを見つける必要を感じました。それは二度目のアメリカでの分析体験によって見出され、それもまたかなりのところ使い果たしたので、今新たに自分を導くイメージが必要になっていると思います。
第三に、夢分析は自分の内面を深めるのに役に立ちます。自分の深い内面を見つめ、深い気持ちや考えを表現するようになると、ふしぎなことに人間関係がより一層広がります。例え自分の過去が不幸なものであっても、それを言えるようになると、心は開かれ、人間関係が広がるのです。夢分析は被分析者が分析者について自分の内面を見る作業です。これを徹底して行えば行うほど人間関係は広がるのです。氏原先生の場合、少なくともこのことは当たっていると思います。
第四に、自分が行き着く先はどこかということが今回の主題です。心の底を流れるいのち、自分を導くイメージについてはこれまでにも書いた覚えがありますが、行きつく先については初めてです。
夢のイメージの行き着く先は、男性の場合、一つは“河の源流”です。川の流れは生活の流れに例えられます。その河をさかのぼっていくと水がほとばしり出ている源流にたどり着きます。いのちの水はそこから出ているのです。枯れることのないいのちの源流の発見、その探求は男性の課題だと思います。もう一つのタイプは社です。ある人は氏神様に行き着き、ある人は大きな社に行き着きました。そこは聖なるところです。源流が動であるのに対してこちらは聖なる場所の静です。河合先生の太陽の女神は、その聖なるものの動と静を両方備えた聖なるものだったところがわれわれ凡人と違うところだろうと思います。このようなイメージを夢に見るのは全て男性です。
一方、女性は結婚が重要な最終のテーマではないかと思います。ある人はオーケストラの有名な指揮者とダンスを踊るというイメージに行き着きました。この女性が指揮者のイメージによって生きると何かの長の職務につかないと十分に満足できなかったのではないでしょうか。ある人は自分の夫と出会う夢を見ました。この方はついには家庭に、つまりご主人の生活を中心にした世界へと帰っていかれました。
このように最終イメージでは、男は晩年に仙人願望を持ち、女性は大勢の人と楽しむという生活になるのではないでしょうか。友達とのにぎやかな暮らしもさることながら、女性にとっては夫の暖かい家庭の生活もまたすばらしいものだと思います。
このようなことも全て夢によって導かれるものです。
夢分析を受けないとどうなるのでしょうか。そこはあまりわかりませんが、その生き方は人生の闇を手探りで、一人で確かめながら生きていくといって良いでしょう。それもまた冒険的で、面白いのではないでしょうか。あなたはどちらを選びますか。