最近、夢分析を受けていた画家Aさんの絵が専門家に評価されたことはとてもうれしいことでした。先ごろAさんが開いている絵画教室の展覧会が例年よりずっと良い評価をうけたこともうれしいことでした。
これはAさんが夢分析を通して自分の内面に向き合い、真摯に自分が描きたいもの、書くべきものに向き合って、毎日努力されたからではないかと思います。Aさんは元々真面目な努力家ですが、それが夢分析を受けることによって、真摯さと努力が一層強められたのではないかと思います。
人には大抵曖昧なところがあります。曖昧なところがあるからこそ、普通に気楽に過ごせているのだと思います。ところが、その曖昧さが、絵画の作品であれば、絵のまとまりの曖昧さとなって表に出てくるのです。展覧会で、Aさんの絵と他の作品を比べてみると、違いが歴然としていることがわかりました。Aさんの作品は何か訴えかけてくるものがあり、まとまりのある迫力となって表れ出ているのです。一方、曖昧なところのある作品は訴えるものが曖昧になっているのです。
私たちが書く文章でもそうではないでしょうか。訴えるものがはっきりしていないと、読んでも得るものが無いでしょう。他の仕事でもそうなるのではないでしょうか。セールスの仕事にしても、仕事をする人の人に良かれと考えて、それが人に通用する一生懸命が伝わるとき、仕事が人々に受け入れられ広がるのではないでしょうか。
ただ、一所懸命努力しても仕事が成功するとは限りません。一所懸命さだけでは人格は広がりません。自分に向き合い、人と関わるなかで自分を生かすにはどうしたら良いかを考えながら生きることが大切で、そうすることによって人格が磨かれるのです。人格は社会のなかでより良く生きようとすることによって輝いてくるのではないでしょうか。社会に生きる人格の力、これこそが仕事を有意義にし、仕事が社会に開かれていく元になるのではないかとおもいます。
自分の心を作るために箱庭療法を、自分を社会化するために夢分析を、より良く人生を生きようとする人に勧めます。
心理療法は普通の人々に、特に人生の真っ只中に生きているいる人にこそ役に立つものだと考えています。