ドリームワークという技法がある。これはグループで個人の夢についてイメージを膨らませながら、夢の意味を多方面から拡充法的、想像的に明らかにしようとする方法だろうと思う。私は体験したことが無いのでわからないが、話に聞くとそういうことではないかと想像する。
今回北海道応用心理学教室戸沼文子先生主催のセミナーで「夢と生活―日常生活における夢の利用」と題して話をした。1時から5時半近くまで、間に少し休み時間をとって、3時間は私の最近の夢を紹介し、その夢を見た頃自分はどんなことを考えていたのか、どんな経験をしたのか、明日に向かってどのようにすべきかなどについて話した。
それは公開の夢分析である。聴衆を分析家にして、夢を報告し、連想内容を報告し、解釈を試み、それに対する意見や感想を聴衆に求めた。
これはドリームワークとは全く異なるのではないか。私は自分の夢について語り、聞き手の質問や意見から夢の連想や現時点での自分の内面を見つめる作業になった。聞き手は日常の夢をどのように扱うのかを私自身が述べたので、夢を通じて私の生き方や態度を見ることになったので、私の深層心理を知ることになって、心理療法の技法の体験的学習とも単なる夢分析の講義とも違って面白かったのではないかと思う。
このセミナーの事前準備として連想内容や自分の解釈を書いていたけれど、聴衆の質問から夢の意味や連想をさらに深めることになった。やはり人に聞いてもらうのはいいと感じた。
後の1時間は4人の方に夢を語っていただいて、連想や夢を見たときの周囲の個人的な状況を話してもらって、即座に夢の解釈を述べた。その解釈は概ね聴衆の理解が得られるようなものになっていたのではなかろうか。
一人の方は、以前メールのやり取りで夢の解釈を行ったことがあった。今回出された夢は以前にもメールで読んでいたものであったが、その方を目の前にして聞くと、夢の意味が私の中に瞬時に湧いてきた。メールと直接の対面ではこんなにも違うのかと内心驚いた。面と向かい合うことはこんなに刺激的なのかと改めて感じた。
メールや電話での夢分析を依頼されたが、果たして満足にできるだろうか。今回の経験を省みると、メールでの夢分析はおぼつかない感じである。電話で補えば少しは内的なコミュニケーションが取れるかもしれない。でもそれでも不十分な気がする。
話に聞くと、アメリカと日本でメールや電話で個人分析を受けている人がある。それは果たしてうまく行っているのだろうか。電話による話は日常的なおしゃべりは良いかもしれないが、深い内的な交流を基本にしたコミュニケーションには向かないかもしれないと感じている。
深い内的な交流はユングのいう類心的(psychoid)レベルで起こっているのではないか。相手と表情や息遣いがわかる距離で、あるいは、親密ないのちの関わりのある関係では、地球の裏側に位置するほど離れていても、類心的と呼ばれる深い心の交流は起こる。そのような深い交流から生れる直感、それが夢分析にとても大切な感じがする。
それにもかかわらず、これからのインターネットの時代に向けて、希望の方にメールを基本にした夢分析による個人分析を試みてみたいと思う。なぜなら、インターネットのつながりは、時代の流れとしてどうしようもなく、現実生活に入り込んでくるからである。時代に取り残されないために流れに乗っていこう。集団自殺のサイトに入り込まない限りいのちはなくならないだろうと思うから。