父性と母性を河合隼雄は「切る」と「包む」で象徴的に示した。河合隼雄先生は偉大であるから、崇め奉っていると父性と母性をこの「切る」と「包む」で考え、その枠からでられない。出られないばかりか、そこから出ようともしないかもしれない。それでは私たちの自由はなくなってしまう。河合隼雄先生は偉大であったが、私たちは私たちの心理学を開いていくことをしなければならない。
昔の卒業生から赤ちゃんができた、毎日子育てを楽しんでいること、仕事から離れて、子育ての生活はすべて子どものためで、それでとても幸せであると書いてあった。
この手紙を読んで、彼女も出産を経験して母親になったのだと思った。
出産して、生れてきた赤ん坊を抱く、その瞬間から女性は母親になるのではないか。これは生物学的な変化が大きいのではないかと考えた。あまりにすべてが考えもなしに変化しているからである。我が家の猫も子どもたちを産んで母親になった。一年半たった今も残ったオス一匹には母親をしている。この関係はずっと続いていきそうである。
母性は生物学的に出てくるものであるというのが一つの仮説である。
もう一つ、子どものために尽くす生活、それは苦労の連続だけれども、子どものために尽くすことを続けていくことも母性の一つではないか。
苦難に耐え続けていくことも母性の一面であり、その傾向は女性に初潮が発来してから始まる。この厄介な生理に女性は毎月付き合う。それから逃れることはできない。苦労に耐えることも包むことの中に入っているかもしれないが、苦労に耐え続けることも母性の重要な要素と見た方がわかりやすい。