緘黙症は心を閉ざす神経症レベルの障害である。原因ははっきりわからない。最近、意外にしゃべらなくなる契機に心的外傷体験がある事例が見つかってきた。その多くはびっくりして胸が塞がるような経験である。ある子どもは小学校に上がって、手を上げて答えたとき言葉のおかしさをみんなに笑われそれ以来学校ではまったくしゃべらなくなった。その子は生まれつき構音障害があって、普通に発音できなかった。担任は入学したときから知っていたはずだが、フォローしなかったために、彼はものすごい怒りを持ちながら外では声が出なくなった。外では心をシャットダウンしたのだ。
このように心の扉をシャットダウンし、心の交流を絶つことは友達関係の中で起こる。心が傷ついたときシャットダウンしてしまう。
女性の友達関係の中ではこれが普通に起こる。新井素子の『あなたにここにいてほしい』はそのことをテーマにした小説である。あるときまでピッタリと心を合わせて生きた二人の間に息苦しさを感じた片方はそれに耐えられず、故里に帰り、一切交流を絶ってしまった。絶たれた方は理由がわからず困惑してしまう。心的外傷とは関係が無い。
女子大に行って一番驚いたことは、4年生になって卒論ゼミを組んだとき、それまで3年間同じ教室で学んできた女子学生たちが互いに名前を知らないことが多く、グループで話し合うことも難しかったことであった。2、3人、あるいは3、4人のグループに別れると、グループの中は互いに仲が良いが、グループ間のコミュニケーションは取れないことが多い。ゼミではリーダーを決めて連絡網を作らないと情報が伝わらない。共学の大学では毎年新入生歓迎の花見を行うことができたけれど、女子大では2年目で断念した。すべてをゼミ指導の私が取り仕切っても、私に近い人しか集まらないのである。女性の社会性を男性心理から推し量ることはとても難しいと感じた。
女性はよくノートをとって勉強する。ある学生は先生が言ったことをしっかり憶えており、言われたとおりに実行し考える。応用が利かないから、応用を求められたとき、どうして教えてくれないのかと不満を漏らす。彼女たちは聞いて憶えることには心を最大限に開いているが、自分で考えることには心を開いていない。
ある学生は母親に国文学をやりたいと言った。すると母親はこれからの時代は国際化の時代だから英語がいいのじゃないと答えた。娘は認められずがっかりである。この母親は時代の動きには目を開いているが、娘の心には心を閉ざしているのである。多分母親は娘のために真剣に考えていると思っていて、娘の気持ちに心を閉ざしているとは考えないだろう。
父親の私は仕事に心を最大限に開いているが、最近家庭にはますます心を閉ざすようになった。庭の手入れは遠い昔から奥様の仕事になっている。そして時折帰ってきて膝に上がって顔を撫ぜてくれとせがむ以外何も求めない猫が一番可愛いと、猫に心を開いている。
人は気楽に暮らすために心をシャットダウンするのだ。