1年前、雑誌『臨床心理学』に「ユング心理学と河合心理学」と題して書いたとき、ユング心理学と河合心理学の特徴について書ききれなかった。スペースも足りなかったし、与えられた題に見合うほどの理解が私にできていなかったことによる。私は河合隼雄先生を客観化しようとした。それは河合隼雄先生の怒りを買ったのだが、それは私にとって当然のことだった。師に一太刀浴びせることはどちらかが死ぬに等しいことがおこる。早くに一太刀浴びせた人があったが、その人は知る人ぞ知る人で終わった。私が師を客観化しようとして一太刀浴びせたとき師はその数ヵ月後に倒れられた。そのことに気づいたとき私は愕然とした。なぜこんなことになったのだと。
私が分析を受け初めてしばらくしてある女性は先生と丁々発止とやりあっていて、夢では刀を振り回していると言って、あなたは何故先生と戦わないのだといったので、男が刀を抜いて戦うときは死ぬか生きるか命がかかると答えたことがある。それが実現してしまったような感じが今している。こういうのがシンクロニシティなのであろう。
私にもシンクロニシティが起こるようになったので先生に一歩近づけたと感じている。それは私にとってとても満足なことである。この前は、ある人が赤ん坊がウンチをしてオムツを替える夢を見た。オムツをとると臀部がウンチで汚れて汚いと感じたという。実はその数日前私も同じような夢を見ていた。私もその人も違ったところで自分の意見を出しすぎていたのだった。
シンクロニシティである。お互いに長く付き合って深い話をしているとこのように心が通じ合うのである。
河合隼雄先生はこのように深い付き合いから生じるシンクロニシティの体験が一杯あったのだろう。
このシンクロニシティの話はユング心理学のなかにはあまり出てこない。河合隼雄先生の特徴の一つと言ってよかろう。
その他、ユングは錬金術の思想を紐解いたのに対して、河合隼雄先生は日本のおとぎ話や源氏物語など文学の分析をユング心理学の立ち場から行った。それはユング心理学の延長の上にあるといってよかろう。
文学でなく、明恵上人の夢日記によって「あるべきようわ」という日本の鎌倉時代から出てきた思想に先生は自分の行き方と同じものを見出されたのだと思う。先生はあくまで明恵の思想として書いておられるが、河合隼雄先生自身も常に二律背反という考え方から、あるべきようわという行き方に行き着いていられたのである。