『1Q84』の中にはユング心理学の考え方が沢山用いられている。
まず青豆が高速道路の渋滞にはまり、タクシーを降りて構想道路の鉄柵を乗り越え高架下に降りる。この降りるテーマ自体、「ねじまき鳥」の井戸掘りのテーマと同じ、下降のテーマである。下へ降りることは内界への旅である。このテーマが下降の、異界への下降であることははじめはわからないが、最後に青豆がもう一度その階段を確かめに降りてみようとタクシーで行ってみるとその階段は無かったことがわかり、階段の下降は非現実であったことがわかる。彼女は最後に死ぬことによって非現実の、夢の国へと旅立っていった。
現実と非現実の二つの世界を想定するところもユング心理学的である。フロイトは意識と無意識の二つの世界のようであるが、その二つは上下、あるいは、右と左とういうように一つの平面に位置づけられる。
それに対して、ユング心理学では現実に非現実的なイメージが重なっていて二重になっている。それが言わば月が二つ見える世界である。非現実と現実が重なって見える世界を村上さんは理解したのである。そのように現実に内的なイメージが重なって見えることは外向的な性格からはなかなか理解しにくいのだろうかと思った。なぜなら、村上さんはここに至るのに「ねじまき鳥」と「海辺にカフカ」の2冊の長編小説を書き、それでも非現実の世界に行くことはできなかった。その後河合隼雄先生の死という衝撃を受け、そのインパクトでこの『1Q84』が出来上がったとみると、相当な苦労をされたことがわかる。
この物語の底辺にはユングの自伝に述べられているヨガ行者の夢が下敷きになっている。
「私はハイキングをしていた。丘陵の風景の中の小道を私は歩いていた。太陽は輝き、私は四方を広々と見渡すことができた。そのうち、道端に小さい礼拝堂のあるところに来た。戸が少し開いていたので、私は中にはいった。驚いたことに、祭壇には聖母の像も、十字架もなくて、その代わりに素晴らしい花が生けてあるだけであった。しかし、祭壇の前の床の上に、私の方に向かってひとりのヨガ行者が結跏趺坐し、深いに瞑想にふけっているのをみた。近づいてよく見ると、彼が私の顔をしていることに気がついた。私は深い恐れのためにはっとして目覚め、考えた。「あー、彼が私について黙想している人間だ。彼は夢をみ、私は彼の夢なのだ。」彼が目覚めるとき、私はこの世に存在しなくなるのだと私にはわかっていた。・・・
私の自己は黙想の中に退き、私の地上での形態について黙想している。換言すると、自己は三次元の存在になるためには、人間の形態を装う。そのことは、海中に潜るために潜水服を着るようなものである。それが存在を拒否するとき、来世においては、自己は宗教的な姿をとる。これは夢の中の礼拝堂によって示されている。地上の形態においては、それは三次元の世界のことをいろいろ経験してゆき、より偉大な認知によって、自己実現の道に歩を進めてゆくのである。」
このユングの夢と解説は物語を作る小説家の興味を引くようで、高橋たか子も『誘惑者』で取り入れている。ユングの夢では、行者の黙想によってユングがこの世に存在している。物語の登場人物の思考と行動は物語作家の黙想によって存在している。作家が黙想をやめたと物語の登場人物は消え、黙想を再開すると再び蘇る。この作家の中で黙想したとき物語を作り出すものは何か。物語を想像するものが作家自身の中の何ものかであり、作家の自我ではない。作家の中の何ものかが物語りを紡ぎ出すとき、作家自身も想像活動で作り出されたものの一部になっている。これを徹底していくと作家は現実を忘れ、内的なものの虜になってしまう。そうして配偶者に愛想を尽かされてしまった物語作家もあるようである。
これまで村上春樹さんは奥さんが秘書的な仕事をして何くれとなく世話をされているので夫婦関係が破たんする可能性はなかったが、今後は一層小説の世界に入られるだろうから奥様も大変だろうと想像する。
成功した井戸掘りの生きた想像活動によって今後ますます素晴らしい小説ができることを期待したい。
ユング心理学では生きた想像活動をするものがアニマであり、その機能である。アニマは男性の夢では女性像で夢に出てくるが、それはほとんど無意識で、外界に魅力的な女性として見いだされてくる。したがって、理想的な女性像といわれ、恋愛関係を左右する要素となる。しかし、個人の内部においては生きた想像機能の方が重要である。生きた想像機能によって相手や周囲の状況を察知し適切に動くことができる。それは無意識に行われ、ほとんど意識されることなく気配で察知して思考し行動することになる。
『1Q84』では、黙想のもっとも深いものとして声を聞くリーダーが登場する。聞くと言うより聞こえてくるものを受け取るという方が適切であろう。コーランはムハッマドが神の声を聞いて伝え述べたものである。人々の問いに対して自分が応えるのではなく神の声を聞いてそれを伝えたのである。
『1Q84』に登場するリーダーには青豆の役割がわかっていた。この世界は深層心理の世界でシンクロニシティの世界である。リーダーのことばかりでなく、青豆のと天吾の交流もシンクロニシティの理解なしでは奇妙なものに映るだろう。
私たちが日常経験するシンクロニシティの現象はこの小説のようにうまくつながらないが、感動的な面ではもっと深く神秘的であるように思える。