理性と信念

 研究会での自分の発言や書いたものの普遍性について以前から疑問を持っていた。自分が言ったり書いたりしたものは自分の信念に基づいて書いているので、人に理解されなくても仕方がないくらいに思っていた。何と独善的であることか。それをどうして良いかわからなかった。

 それが最近少し手がかりを得て考えられるようになった。

 『次郎と正子』という白洲次郎と白洲正子の娘、桂子(かつらこ)さんが両親のことを書かれた本の中に興味深い一文を見つけた。

 桂子さんはお母さんの書いた本はあまり読まなかった。なぜなら、母は、つまり白洲正子は、自分が空想したことを本当にあったことのように書くからだと。

 白洲正子自身は文献や実地に現場を訪ねたりして、相当に考えて書いている。そこには、現場の観察や文献から考えられることを、空想たくましくして、実際はこうであったろうと信念を作り上げて書いている。『明恵上人』や『西行』という本はまさにそうである。『明恵上人』を読んだ河合隼雄先生は自分が書きたいことが全部書いてあると驚いたと書いている。確かに内容的にはそうである。だから、『明恵 夢を生きる』は夢を中心に書けば少しは特色が出せると考えた書いてある。

 河合隼雄先生のやり方も白洲正子と同様で、文献や事実を良く調べ、その内容に思いを込めて物語を紡ぎだすように書くのである。これは神話学者ケレーニの指導によっている。ユング研究所の卒業論文は初めスサノオについて書くはずだったが、ケレーニ先生に会ってその場で思わず「アマテラスについて書きます」と言ってしまった。どうしたらよいか困った河合隼雄先生に、ケレーニ先生は日本神話をよく読んでそこから発酵してくるものを書きなさいと言った。このようにして、河合隼雄先生はいつも資料をよく読んでそこから生まれ出てくるものを書いている。面接場面における夢分析も同様であった。

 心の中で発酵し、自分の深い思いから出てくるもの、それは信念に近い。

 自分が書いたり言ったりすることはそれに近いが、どうも河合隼雄先生に比べると底が浅く、理性が足りないのではないかと思う。

 河合隼雄先生はもともと理性が勝っている人だった。合理的でないものは認められなかった。その合理的態度は人の命を何とも思わないほどの冷酷なものであった。リビエド・リラダンの小説に、ある医者の話があって、ある不可解な病気の患者が突然治ったと言ったので、その場でピストルで撃ち殺し、解剖して病因と治ったその理由を確かめようとしたという物語だった。先生は、自分はこの話が大好きだと言われ、常々、自分は発病するとしたら、精神病質(今の人格障害)に違いないと言っておられた。感情をまったくさしはさまない冷酷なほどの理性が一方にあって、他方にしばしば涙があふれるほどの感情を込めた思いをいたすところがあった先生である。私にはその理性が、客観性が足りないらしい。

 

次へ  前へ