不登校や引きこもり、あるいは、消化器の不調やアレルギーなど心身症的な問題がある場合など、カウンセリングを始めると一時的に悪化することがあります。
遅れながらもしぶしぶ登校していたのがまったく行かなくなったり、引きこもりがますますひどくなったり、胃腸の調子がますますひどくなったり、アレルギーがひどくなったりすることがあります。これはカウンセリングの影響でそうなるわけですが、本人の心の底では、本格的な生き方の改善のために、潜んでいた問題を全部出して新しい生き方の体制を作るための準備をしていると考えることもできます。この場合は、一時的に悪化してその後徐々に改善していくことが望まれます。事態が悪化することによって、本人も周りの人も奮起してさらなる改善を目指して努力する気になれば良いと思います。
しかし、悪い方への変化が本人にとって、あるいは親の側で耐えられない場合、面接を中断することになるかもしれません。
子どもが問題の場合、子どもの心によくなろうとする動きが出ると共に、親、特に母親への甘えが増大します。そうなると特に母親に負担がかかり、疲労して、体調を崩しやすくなります。大抵母親は精いっぱい子育てに努めていう上に、さらに子どもが甘えてくるのですから、負担の増大は体調の不良や不機嫌となって現れやすいのです。子どもも赤ちゃん返りし、母親も体調を崩すと、何のためのカウンセリングかと疑われることもあるでしょう。ここでカウンセリング中断ということになりやすいので、カウンセラーによる親の支えが必要です。
親自身もやさしい愛をあまり経験していない場合が少なくありません。与えられていないもの、経験させてもらっていないものは与えることはできません。ですから甘えを十分に、適切に与えることができないことは、親個人の責任ではないということをわかってもらう必要があります。親自身の愛情不足が子どもでさらに拡大しているのですから決して親の責任ではないのです。この状況で子どもを支えるにはカウンセラーも親も一緒になって頑張る外に仕方がないのです。この協力関係が、親も子も、そしてカウンセラーもが生きる道を開いていくことになるのではないでしょうか。
この共通認識に立ったカウンセリングの協力関係が事態を好転させていくのではないでしょうか。当面している問題を明らかにしながら、自分に課せられた命を生きる方向にそれぞれが努力していくこと、それがカウンセリングの主題ではないかと思います。
私が行っている児童養護施設のモットーに「命を生きる力をつける」とあったので、同じ考えに出合い、驚き、うれしくなりました。自分の命を生きる力、それはもっとも苦しいところから出てくるものだと思います。