今朝は早く目が覚めたのでエッセイを一つ書いた。テーマは「強いお母さん」であった。
朝食後眠くなったのでひと眠りしたらお昼で、鮮明な夢を思い出しながら目覚めた。
その夢は、次のようであった。
「私の生まれ育った家の西側にある小高い丘だが、夢の中ではかなり高い山の尾根にいる。雰囲気はアメリカの山である。そこには直径5~6メートルもある大木がある。私のその木を写真に撮り、さらに全体をうまく写真に収めるために、少し下って上がったところにある4~50センチの木の根に取りついた。ところがその木の根ところはもろく、木が傾くくらいもろく崩れる。よく見るとそこははるか下に裾野の町が見える御在所岳の尾根のようなところで、その夢の中の尾根はナイフリッジのような細尾根で、崩れた土ははるか下に落ちていく。さっきの大木ももろい土の上にあるのだからもしかしたら根元の土が崩れてひっくり返るかもしれないと思った。私はもろい足場で木の根につかまり、片手で巨木の写真を撮ることは難しいと感じている。今私が落ちて死んでも、このカメラは残り、さっき写した映像も残るかもしれないと思っている。」
この夢は記録しながら、今朝書いたエッセイについての警告夢であると直感した。
このブログの読者の皆さんはどのように解釈されるだろうか。
先ずは、この直径5~6メートルもある巨木は何を意味するのか。
それは私が山の中で見つけた木で、たぶん強いお母さん、仕切り屋の女性像だろうと思う。
私がエッセイの中に映し出そうと思ったものは、とてつもなく大きな存在で、近くではカメラの視野に収まりきれないことを示している。だから、私は少し離れたところに行って振り返ると全体は見えるが、自分の足元はもろかった、つまり、私が強い女性を論じるには基礎がなっていないことを夢は警告しているのである。
しかも、その場所は御在所岳の尾根のように世間から離れた高みにあり、自分がエッセイで論じるレベルが、世間の常識からずれて、抽象的で現実的でないことを警告していると見て良いだろう。
心理相談の実際に携わりながら、心理学の研究ばかりしている私は、哲学的世界、仙人の世界に住んでいるのではないかと思う。高いところにいる夢はずっと繰り返し見ている。世間の、みんなと同じレベルに降りろという夢の警告が続いている。これを何とかしないと、私の書くエッセイは特殊で、仙人が書くもので、広く読まれるものとはならないと思う。
巨木のもう一つの意味は、私の心の森に育ってきた心理学の体系であろう。今、自分なりに何とか精神分析やユング心理学とは違う私、西村臨床心理学が大きな木になるほどできたのかもしれない。それは人里離れたところにあまり人に知られないところにある。私はこの木を発見したが、他の人にとってどれほど重要かわからない。一人悦に入って下界を見下ろしているのも悪い気分ではない。私はこの明るい光に満ちた世界にいるのだからそれで十分ではないかと思う。
夢の中の森がアメリカ西海岸の森のような感じということから次のことを連想する。
アメリカ西海岸は河合隼雄先生の最初の分析家だったシュピーゲルマン先生がいらっしゃる所で、来春会いに行きたいと思っているところであり、また、強い女性たちがたくさんいるところである。西海岸の森は砂漠の森だから、雨が降らない季節は乾燥していて蚊がいないから、巨木の下は格好の野点の場になる。友人のジローさんはそこでお茶を点ててくれるはずで、それを楽しみにしている。
夢の中の尾根の林は秋の様子で、枯葉もいっぱいで、明るい光に満ちていた。
このところ心せわしくて、かなり疲労がたまっていたが、朝寝を猫と共にゆっくりしたのでかなり回復したらしい。光に満ちた風景がそれを反映している。
この私の夢についての解釈は、自己反省と、夢になじみのない方への夢解釈の私のやり方を示したものである。
私はこのエッセイシリーズでクライアントのことを多く語るので、自分のことも出した方が良いと思っている。今回の夢はエッセイに明らかに関連していると思ったので、総合的に考えていただくために書いたものである。