和の時代から理性の、そして攻撃的理性の時代へ

 昨夜私は夢を見た。

 夢で、「私の他3人の女性が何かの破片をより分けながら何かを探していた。3人のうちの一人は私の妻の良子さんであった。良子さんが探し出したものはネズミの佃煮せんべいの破片であった。破片ながらそこには押しつぶされたネズミの姿がはっきり見えた。私はそれを食べなければならないことになっていた。」

 良子さんは一番身近で私の弱点を良く知っている人だから、良子さんが私のために見つけ出して差出たものは受け取らねばならない。

 私はネズミ年で、ネズミを食えということは自分を食えということ、つまり、人のことをいろいろ言わず、自分を食え、つまりは自分を省みろという夢の警告だと思った。

 分析を受け始めた当初から私の中には理性的なアニマがいた。男性的に自律的に生きるタイプの女性である。だから、概して理性的女性に魅かれるところがある。

 ネズミが出てきたということは、私の中のアニマが少し攻撃性を増してきたという警告ではないかと思う。

 コンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』を紹介してくれたのは私たち夫婦が尊敬していた川西智子さんであった。彼女は理性的女性であったが、早くにガンに侵され、理性のゆえに早く亡くなった。おしい人をなくしたという思いでいつも胸が詰まる。

 それから私はローレンツに魅せられ、ローレンツを基礎に自分の心理学を作った。

ローレンツによれば、人間の攻撃性と連帯の機能はネズミのレベルだという。自分の仲間の匂いがあれば受け入れ、違う匂いのものは見つけ次第排除してしまうと云うのである。同じ考えであれば受け入れ、違うと一切シャットアウトするのである。フロイト派とかユング派とかに分かれてまじりあわないのはその故である。

 河合隼雄先生は決して戦いをしない人で、いつもニコニコとしておられた。対談を聞いてもいつも、そうですね、そうですねと同調するような対話をしておられ、そこにはいつも和の気持ちがあった。

 私はそれを快く感じる半面、何か対立的に話してみたいと思っていた。同調的対話でなく対立的対話をしてみたかった。つまり、同じ匂いの仲間で仲良くするのでなく、違ったものと仲良くするにはどうするかがわからなかった。私には違うものとの出会いが必要であると感じていた。このためには河合隼雄先生を越える必要があった。

 そして今、和の気持ちでなく、理性が強く出る時代になった。

 先頃検察庁の特捜課の事件が明らかになった。いわば和の精神で、なーなーに問題を隠そうとしていたところ、誰かが、これは間違いです、間違いは間違いですと主張する人がいたのである。その結果、和の精神で間違いを隠していたところが暴露されてしまったのである。

 今までは検察庁特捜部は和の精神で一致団結していたから問題は外には見えなかった。ところが内部から間違いは間違いですと理性で戦う人が出てきたのであろう。ここも古いやり方では通用しなくなってきたのである。

 私たちの心理臨床の世界でも、良い子という服を着て、自分の内面を隠している人にあなたは本当はこうではないですか、内面から本当のことを突き付けて話し合うようなやり方が必要になってきているのではないかと思う。これは理性の攻撃性によるものである。

 時代のこの動きに私の内面は影響されて、理性的攻撃的にアニマが引き出され、私はそれに乗せられているのかもしれない。内面のアニマを変えることは難しく、ユングはアニマの問題は師匠の仕事であると言っているので、私はしばらくこの攻撃的理性的アニマに振り回されることになるに違いない。ユングもこの問題では相当に困ったらしく、夢や空想の中で相当に戦った節がある。

 このエッセイの読者の皆さんはこのような私に影響されないようしばらく読むのをやめられることをお勧めします。ただ、これを表に出さないとできない限り、私は攻撃的アニマから解放されることもないので続けます。佃煮せんべいのようになったネズミを生き返らせ、私が可愛がっているネコたちに食べさせるまで、私の混乱ぶりを見たい人や付き合ってくださる方は歓迎します。

 

 

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