今回の旅行の目的は、一つは次郎さんの茶室を訪ねること、二つ目はポスト河合の自分の心境と最近の自分の心理臨床のスタンスをシュピーゲルマン先生に報告すること、三つ目はロサンゼルス滞在中にお世話に会なった人々に、もしかしたら最後のお別れになるので、お礼のご挨拶をすることであった。
次郎さんの茶室は外観はまるでホームレスの小屋だが、良く見ると心憎いほど丁寧な作りになっている。内部は心落ち着くところであった。次郎さんの筆になる掛け軸「随處作主」があって床柱が良かった。そこでお抹茶をいただいた。
お茶の後、ロサンゼルスへ向け出発した。
シュピーゲルマン先生は84,5歳で、歳をとって見えたが、わかりの良さと鋭さは相変わらずで、元気だった。私の前にも後にも面接が入っていたようである。自分のことを話し、シンクロニシティの起こりやすい心理臨床になったことを事例で報告して外に出たら、後、旅の目的が果たせたような感じになり、空白な心になってしまった。
その空っぽの心のままチャイナタウンに行き、おもちゃ屋で時間をつぶし、幸子さんがセットしてくださったパーティに行った。
そこには幸子さん初め私がお世話になった方々が集まられた。私が来るというので幸子さんの呼びかけで私が会いたい人が全部都合をつけて集まってくださった。私はお世話になって今も忘れずにいてくださるありがたい気持ちに感謝して、新たに人々とのつながりを確かめることができた。
ロサンゼルスの皆さんはとても元気で、特に、きよこさんは日本人のための「いのちの電話」を立ち上げ、今やっと朝10時から午後6時までの対応をすることができるようになったと言われた。ボランティアの仕事であるが、困っている人々の役に立っているという存在感に支えられた元気さが伝わってきた。一昨年体を悪くされたヨシさんも毎日5キロ歩けるようになり、日本の若いソーシャルワーカーとも交流してやって行きたいと意欲的であった。
Northridge大学でお世話になった目幸先生もお元気であった。
私は帰国して家に落ち着いてから、私はロサンゼルスでこのような人々と出会い、その出会いに支えられて今の心理臨床があるのではないか、今の良い出会いのための心理面接はここから大きく動き始めたという思いが強くなった。良い出会いは特に京都に行ってから始まったのだが、ロサンゼルスでその花が開いていたように思った。シュピーゲルマン先生に初めてお会いしたとき着いて3週間くらい経っていた。先生は会うなり来るのが遅いではないか、今までどうしていた!とおっしゃった。先生は私が来るのを待っていられたのだ。これがロサンゼルスでの良い出会いの始まりだった。
今回の旅の目的はどうやらこのことの確認だったように思う。これは私の無意識のこころの計らいであろう。旅には意識的な目的と無意識の計らいの目的があるようだ。