私の心理療法とは

 多くの人が心理療法に関心をもって臨床心理士になっている。そして医療機関で働きたい人が多い。私も昔そうだった。だから京都市カウンセリング・センターを離れるとき名古屋市立大学の神経精神科を選んで行った。教育相談から医療の現場に入ってみるとその違いに驚いた。一つ一つの事例が難しく、なかなか良い変化が見られない。それに比べると、カウンセリング・センターでの遊戯療法は目に見えて子どもが変化していくのがわかって、面白かった。

 私はその当時心理療法はtherapy治療法だと思っていた。医療現場で心理療法をうまくやるにはどうしたらよいかと考えてきた。

 今私設相談室の一介の臨床心理士になってやっているのは、心理療法という治療法を適用しているのでなく、病気や問題を抱えながらどのように生きていくかを来談者と共に考えることである。病気の治療は医療機関に、遺産の相続は法律家のところに行ってくださいということになる。私のところは治らない病気や遺産の分配で疲れ果てている人に、そのような問題を抱えながら生きていくのを共に考え、自分の人生を切り開き、自分なりの人生哲学を見出す仕事をしている。

 治らない病気に囚われるとできる仕事は限られてくる。外との交流は断たれ世界が狭くなり心も狭くなる。しかし、自分の内面に目を向けると心の中に広い世界が見えてくることがある。心の広く深い世界に入って行くと何故か外にも広い世界が開けてくるように思う。そうなると心が生き生きと明るくなって、体も生き生きとなってくるように思う。できることも多くなり悩みも増え、生きがいが出てくる。生きがいのある生活とは悩み多い生活である。こういう有意義な生き方を探す仕事が心理療法であるという境地になった。

 心理療法とは個人個人の生き方、人生哲学を見つける仕事である。深い悩みの気の重い、長い辛抱のいる仕事である。短期間には決してできない仕事である。

それは単に誰かに悩みを話して気持ちがすっきりする無料相談とはわけが違う。それは清涼飲料水を飲んで一服するようなものだ。ちょっと悩みを軽くしたい人は無料相談室か心療内科へ行ってもらいたい。

 だんけ相談室は料金が高い。もっと安くすると沢山の方が見えるかもしれない。しかし、それは労働時間を増やし、孤独のさみしさを和らげるだけである。ちょこっと話をしてちょこっと気軽になってもらうような仕事は後10年の後に私の力が衰えてからの隠居仕事にしたいと思う。

 

 

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