昨日私は心理療法についての私の個人的な思いを書いてHPに出した。そのエッセイのテーマはこれからの私の心理療法の方向を見定めるために書いたもので、心理療法は人生をしっかり生きるためにしっかり悩む人と共にやって行きたいというものであった。 このエッセイを書いて檀渓心理相談室に行って午後面接した人がまさにそういうことを求めてきた人だった。自分がどうしてこういうことで悩むかわからないという訴えであった。それもインターネットで私のブログを見てお出でになったので、本当にうれしかった。その方は私のそのエッセイは見ているはずがない、申し込みはずっと前だったから。 インターネットを通じて本当の出会いができる時代になったのだと思う。 昨年の成果として4組のカップルができたことを書いた。そのうちの2人はインターネットを通じて知り合った方だった。出会い系サイトは危ないと私もそして多くの方もそう思っておられると思う。しかし、インターネットによる出会いも、自分自身の内面の深いところとつながりながら慎重に現実吟味を利かせながらやって行くと本当のしっかりした出会いに至るのではないかと思うようになった。 昨年姉が亡くなって不義理をしていた父方の親戚に50年ぶりに挨拶に行った。そこで話が弾んで、いとこの友人が山で遭難し、森の中や谷筋をくまなく探しても姿が見つけられないので熊笹でおおわれている山をモーター付きパラグライダー調べてみたいと思っているという話を聞いて帰ってきた。そして次の週の面接で、あるクライアントの夢の内容に驚いた。 (夢)森の中で道に迷った男が顔も手足も泥にまみれぼろぼろになった服を着て山の中から出てきた。その男は誰かわからないが超軽量飛行機を操縦して規制外の山に近づき過ぎて遭難したのだった。 いとこはどこを探しても見つかりそうにないから友人はどこかに生きているのではないかと思うと言っていた。もしその人がどこかに生きていることがわかったら、ますます夢と符合する。まったく知らない二人の人の心に同じようなイメージがあることに驚く。 これがシンクロニシティ、共時性というものであろう。不思議なことだがただ、それだけのことでしかない。ユングや河合隼雄先生はこのような世界に遊んでいたのであろう。私もやっとそれに近づくことができたのかもしれない。