問題の背景 不安と恥

 パニック障害の背景には不安がある。今ここにいることが不安になるからパニックになるのである。パニック障害は以前不安神経症と呼ばれていた。不安神経症と言うと聞こえが悪く、パニック障害と言えば、不安が見えなくなってしまうから不思議である。

 不潔恐怖や高所恐怖、対人恐怖などその背景には不安がある。これらの不安はご本人は強く意識しているが外からは全く分からないもので、本人が言わなければわからない。このように神経症の背景には不安がある。

 不安に対しては、心療科では抗不安薬を出して不安に対処させ、心理療法では脱感作や安心できる人のそばにいるように導いたり、夢や箱庭制作によって心を深層に根づかせて基本的な安定感が得られるようにして対処していく。たとえばドアを何度も開け閉めしないと安心できない確認強迫の場合、確認行為は安心するための行為だから、その確認行為をやめさせようとせずに、ゆっくりと確実に安心できるように確認しながら行為させると不安は次第に減少していくはずである。この場合もカウンセラーのサポートがあると効果的である。やさしい頼りになる人のそばにいて安心できることが必要である。

 神経症の不安はこうして良くなる。これに対して、アルコール中毒や薬物中毒は酒や薬物で酩酊することによって不安を見えなくしている。いわば医者に行かないで自ら薬物を服用し、不安を消している人たちである。ものすごい不安があるけれど、人に頼ることをせず、人がそばにいても癒されることはない。本人は酒や薬物をやめたいと思うがやめられない。とがめられるとやめると約束するがその約束はすぐに破られる。意志が弱く恥ずかしい行為をしているである。不安を自ら酒などの薬物によって消すが、それが自己破壊につながるときやめられない。それは恥ずかしいことである。不安より恥ずかしいことをしているのが問題なのである。

 アルコール中毒や薬物中毒の人は自分がそういう問題を持っていることを隠している。それを人前に出し、自分ではコントロールできないという恥ずかしさを告白するとそこで初めて治る第一歩ができる。恥をあまり経験していない立派な人の前では恥ずかしいことは告白しにくいが、かつて恥をかいた経験のある人たちの前だと告白しやすい。ここで自助グループが役に立つのである。あるいは、ある習慣をどうしてもやめられない人、例えば、働き中毒、読書中毒、恋愛中毒、ある種のオタク的な人たちはこの心理がわかりやすいであろう。こういう人たちも頼りになるかもしれないが、これらの人たちはグループを作らないから難しい。これらの問題は普通の心理療法では治らない、中毒系の心理療法を行っている人のところへ行った方が良い。

 自分の小遣いの限度以上に使ってしまう携帯依存症や買い物依存症や借金依存症の人は私のところはでは相談に十分乗ってあげられないので専門家に紹介することにしている。恥の問題か不安の問題かわからない人は檀渓心理相談室に私を指名してきてください。

 

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