独自性かボケなのか 一人静かに笑っている人になりたい

 最近心理臨床の業界を見ていて自分は到底ついていけないと感じています。

 今は発達障害の流行の時代です。どの事例も発達障害の要素を持っているので、この言葉はすべての事例に当てはまるのです。発達障害と言えばその中身は発達の遅れですから中身がわかったように思います。しかし、どの側面が遅れているのか、どの程度遅れているのかがわかりません。発達障害の下位分類はないのです。下位分類を誰もやろうとしません。

 私はこんなすべての心の問題を発達障害の色一色で塗りつぶしてしまうことは我慢ならないので、この流れにはついていけないのです。でも発達障害と銘打てばセミナーに人は押しかけ盛況でワイワイと楽しくやって行けるのです。表面に流れていく表象につかまって行く外向的な時代になっているのです。

 この表象の流れに乗って行けばまず安心して生きることができます。たとえそれで間違いが起こってその時はこうだったのだからで済んでしまいます。みんなで渡れば怖くないという原理に乗っているのです。こういう時流に乗れない自分を顧みて、自分は独自性をもったのか、それとも時流に乗って行く気力が無くなったのかといぶかっています。内向的な自分は外向的な今の時流に乗れない独自性をもったのだと思う一方、時流に乗れない自分を情けなく思ったりします。

 昔はユング心理学の時流に乗っていたのです。その時はらくでした。乗りながらこの船もユング先生が作ったもので、河合隼雄先生が面白く紹介されるので、自分でも心底面白いと思い喜んで先生の船に乗っていたのですが、しょせん他人の船には違いないので、いつかは私の船を作らねばと思っていました。

 もう40年も前になるでしょうか、河合隼雄先生と河原町通を歩きながら、先生にユングを乗り越えるにはこれから5~60年かかるのではないでしょうかと言ったら、先生は、「いや、そんなことはない」といとも簡単におっしゃったので自分は不思議な感じがしていました。今になってそのいとも簡単にということがわかった気がします。私は今、ユングからも河合隼雄先生からも離れて、自分の道を生きているように思うのです。借り物でない自分の船を漕いでいると思います。自分の船に乗ったら、人の船は人の船、それは自分とは違うとなるのです。乗り越えたのではなく、違う船に乗り移ったのです。

 河合隼雄先生はユング研究所から帰って間もなく、もう自分の船に乗っておられたのです。乗り越えるではなく、乗り換えるなのでした。自分は自分を生きることにしたから、今本当に自分を生きたい人が自分の前に最近現れるようになったようです。この不思議な出会いが面白いのです。

 私の今の稼ぎは本当に少ないのですが、年1千万も稼ごうとすると毎日まいにち休む暇もなく面接しなければなりません。そうすると俺はこれだけやっているぞと自慢したくなるに違いありません。それよりも自分の独自性を守って、そこに誇りを持っておきたいと思います。理解していただけるとありがたいです。きっと今時流に乗っている人にとっては私の考えなどちょっと面白いけれどで終わってしまうのではないでしょうか。これではひきこもりになってしまうかもしれませんね。引きこもって一人静かに笑っている人になりたい。今後ともよろしく。

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