夢分析を受けたいという方が相談室に電話をかけてこられた。どうしてと聞くと夢を沢山見るからだということだった。京都のある大学に行ってみたけれどもどうやらイメージが違ったらしい。沢山夢を見るということは人生で何か大切なことを考える時期に来ているということを申し上げたが、できればユング派の分析を受けたいということであった。その方は自分の人生よりもユング心理学に関心があったのではないかと思った。
河合隼雄先生の紹介で広く知られるようになったユング心理学は今どこに行ったら学ぶことができるのであろうか。
河合隼雄先生のお話はわかりやすかった。ユング心理学の述語を使って説明することをほとんどされなかったから、ユング心理学の形を支える述語を人々は知らず、今では忘れられたようになった。
河合隼雄先生は弟子を造らなかった。“河合隼雄を客観化しようなんて何事だ、自分のしたいことを一所懸命しろ!”というお叱りを私は伝え聞いた。河合隼雄を客観化して考えを取り入れることをせず、自分の経験から考え何かを掴めということだった。自分の何かをつかむこと、それがユング心理学の神髄なのではないか。
ユングがやったことはユング自身の無意識との対決であった。自分の心のうちに向かい合って何かをつかんでくることだった。ユングは夢や空想を通じて心の深層とかかわりを持つことを重視した。私は空想の代わりに箱庭を用い、夢分析と箱庭制作で内的な心が目指しているいのちにかかわり、命の流れに沿って生活を広げていくことを目指している。そういうことを実際にして、自分なりの方法を確立して相談室で実践している人たちがある。その方々は個性的である。私もやっとこの年になってその仲間の一人になったのではないかと自負している。
そういう観点から私は自分を深層心理派と呼びたいところである。
夢の内容をユング心理学の理論で切り分け分析することは夢の素材をバラバラにする。バラバラになった素材でユング料理を作ることがユング派の分析なのか。私のところに夢のユング派的分析をしたいと言ってこられた方は夢の料理法を習いに来られたのではないか。それはお門違いなので心理学用語で討論するユング研究所に行っていただきたい。
私のところには生き方が難しいから何とか生きる道を見つけたい、道を広げたいという方に来てほしい。そういう人は箱庭や夢を通じて心の深層とつながり、その結果として外界で人間関係が広がって行き、人生が充実していくと思う。お金ではなくたましいの力で生きていく人生が開ける。