私が子どもの頃火の玉が墓場に出るということを聞かされた。その頃は田舎では土葬だったから体が腐って行くにつれてリンなどが期待になってそれが雨の夜に燃えるのだと言われた。火の玉はリンなどが燃えると言うのだから、私の子ども時代にすでに科学的な説明がなされていて火の玉は霊ではなくなっていた。しかし、なんとなく墓場には恐いものがあった。私は今でも墓場に行くのは怖い。何かいるような気がするのである。
明治の初めころまでは幽霊がかなり信じられていた。宮本常一は『忘れられた日本人』の中だったと思うが、峠に化け物が出たというので弁当もちで見に行ったという話を書いている。人々は現実にたましいの存在を信じ、人の恨みつらみは死後も続き幽霊となってその人と周りの人々に影響を与えると考えられていたのではなかろうか。人情話の大家圓朝の話は速記され今も残っているが、牡丹灯籠や四谷怪談は一昔前の私たちには恐ろしい話であった。
人に裏切られたり、いじめられ続けた経験によって出来た恨みの心、怨霊は今も生きていると多くの事例から私は信じるようになった。
そのことを若い人に話したら今はDNA、つまり、遺伝子ですねと言われてしまった。怨念や幽霊は遺伝子の中に閉込めれてしまったと思った。遺伝子では私たち臨床心理士の出番はない。
明治維新で日本が近代化し、東京帝大に心理学や神経学を研究する部門ができて幽霊は消えていく運命にあった。圓朝はそのことを心配して『真景累ヶ淵』という人情話を作ったと思われる。この真景には神経、つまり心の神経が重ねられている。真景とは心景なのである。心の本当の風景を人情話で圓朝は語ったのである。圓朝は心理学や神経学によって消えていくかもしれない心の本当の心の風景つまり心景を物語にして残したのだった。
河合隼雄先生は、心は物語でしか表せないことをスイスから帰った時すでに直観的につかんでおられた。私に圓朝を読めと勧められ、分析は心の貸借対照表を作ることだと暗に示されたのだった。
私が心理学を学んだ時には幽霊は精神医学によって幻覚や妄想の中に閉じ込められていた。そして今ではDNAの中に閉じ込められてしまったのだ。
きつい親によって育てられ自分らしい生き方をつぶされたつらい経験の遺伝子は子ども受け継がれ、子子孫孫に伝えられていくと考えるとそこは心理学の我々には手が及ばない領域となる。
しかし、私の前に来談される方のつらい体験が幽霊にならないように、夢や箱庭制作によって人生の様々な経験をしっかりと見つめ心の世界でおこったことを明らかにし、心の貸借対照表を作りながら、心の全体的な安定と、恨みに左右されない自由な心を取り戻していく作業を共同して行うことが心理面接であると思う。このような心の作業はDNA万能の時代に圓朝の牡丹灯籠の話を好むような少数の数寄者の好むところではないかと思う。
皆さんは如何ですか。幽霊や怨念の存在を信じますか?