西の方の施設から箱庭について教えてほしいという心の声が聞こえて来ていて長い間ご無沙汰をしていたので久しぶりに行った。私を待っていた方が何人もあって、何人もの子どもの箱庭の写真を見せられ、コメントを求められた。箱庭の写真を見て思いつくことを言っているとそれがヒットするらしく、つぎ次にいろいろな話が出て来て、子どもたちの境遇と箱庭の内容を関連付けて考えると箱庭の偶然の表現の一致が興味深かった。
あまりに沢山の事例を聞くと頭が一杯になって、頭が回りにくくなる感じもしたほどであった。うつ病の方が頭が締め付けられるように痛くなると言われるが、それほどのことはなかったけれど、入ってきた情報を処理できず、寝つきが悪くなった。うつ病の人もこれと同様仕事の情報を知りできずに眠れなくなるのではないかと思った。
そういうこともあったが、箱庭に関心を持ち、子どもたちと生活を共にしながら箱庭を差せている方々と出会って、こちらもやる気が出てくるのを感じた。これからは学ぶ意欲のある人々と共に歩んでいきたいという気持ちが強くなった。
その後福岡で開かれた学会に出席した。
改めて驚いたがとにかく女性の多い学会である。発表の終わった後廊下で出会う人々はほとんど女性である。しかし、研究発表者は明らかに男性であろうと思う名前で拾うと発表の半数は男性である。研究発表では男性が圧倒的に優位である。
学会では私がこの世界に入って右も左もわからないとき最初に導いてくださった大先輩に会った。先輩も久しぶりに学会に来たということだった。河合隼雄先生が亡くなられた後、初めて自立しかかった自分が最初の師に出会ったことをうれしく思った。その先輩の導きがあって今の私があることを感謝したい。
また、30年前実験心理系に在った人にも会った。転勤の挨拶に臨床心理学も教えていますと書いてあったが、まさかこの学会で私の発表を聞きに来てくださるとは、ありがたいことであった。
また、あるところで私はある人の箱庭にコメントをした。その方は方向を変えるということで会えなくなったが、私の発表会場で「先生憶えていますか」と言われ、私はとっさに思い出せなかったが、大学院に進学しておられてびっくりした。きっと自分で作った箱庭にも刺激されこの道を選ばれたのだ。作られた箱庭へのコメントをきっかけにこうして出会いができたことがうれしかった。
心理臨床の世界はこうしたいろいろな出会いがあって人とのつながりの中で生きていくのだと思った。こころのいのちにかかわる深い出会いが支えになり、また、相談室にお出でになる方やカウンセリングを学ぶ人との出会いを広げていくのだと思った。
心理臨床の学会は流行が支配する学会である。河合隼雄先生のユング心理学も一つの流行であった。それは今発達障害と認知行動の心理学に変わった。しかし、常に変わらないものそれは深いこころのいのちの出会いである。それは当事者しかわからないものではないか。深いこころのいのちとの出会い、それは私の妄想かもしれないが、その妄想の中に生きているのは心地よいものである。こころでしかわからないこの深い出会いをこれから生きていきたいと思う。