アメリカの大学の図書館の心理学のところに『50分』という題の本が何冊もぼろぼろになったものがあって、こんなに読まれているのかと驚いたことがある。この本は以前翻訳され『宇宙を駆ける男』という題名で出たことがある。心理療法の事例集で大変印象深い本だった。50分というのは面接時間のことである。
この頃一人あたりの面接に1時間半を取り、ゆとりをもって人に会えるようにした。
心理療法の原則としては何故かわからないが1面接あたり50分と相場が決まっている。50分の面接の後10分休憩を入れると1時間になり区切りが良い。でも話しが収まらなくて休憩もなしになってしまうこともあるのではないか。今の私の場合箱庭制作も行うので90分では足りないことがある。面接の終わり、話の区切りをつけることは安心感を高めるために大変重要な要素である。満足して終わることも大切だが、多少足りなくて終わることも大切である。「少し足りないものは最高のものに勝る」という言葉がる。
シュピーゲルマン先生は45分で休憩なしに予定を入れていらっしゃったから、実質40分であった。40分では自分のことを満足するまでしっかり話そうと思うと若干時間が足りない。何か不足の課題を残したまま面接を終わることになる。
ところが話半分で未消化の課題を残したまま終わった後、その課題が自分の生きる道に深くかかわっていると次の面接につながり、却って心理療法的には有効だと思ったことがある。しかし、それは自分の生きる道に深くかかわる面接が行われているときだけ有効だと思う。
今あるクリニックでは30分面接を医師が進めている。心療科での精神科医の面接は1人15分というのは長い方である。あるクリニックでは30分に8人入れてあると聞く。そうすると30分の面接で十分と言える。生きる道に深くかかわる面接ならばそれで良いかもしれない。でもそれは保険診療という患者にとっては安価な面接だからできることである。
あるカウンセラーは料金を少し安くして50分きっかりにし、2週間に1回のところ毎週来てもらうことにしていて、その方が経済的には良いという。でも体力の衰えた私には長く働くよりじっくりと面接を深める方が合っている。私の相談室の料金は高いのでそれに見合う満足を得ようとすると50分は必要である。でも大体1時間もしっかりした話をすると大抵は満足するようである。軽い面接なら30分でも良いかもしれない。30分も話しすると用意した話は終わってしまう。でも心理療法的面接は話しすることが何も無くなったところから始まるという面もある。それでも心の集中の限界というところから考えると50分というのが最も適切な時間なのであろう。