圓朝の『牡丹灯籠』が面白かったと感想を述べると、僕は噺家になりたいとおっしゃった。話を作ってそれを話して聞かせていくことがこの上なくやりたいことのように聞こえてきた。
噺家は、自分の得意な話を繰り返し面白く聞かせると当時の私は思い込んでいた。だから、心理学でそんな繰り返し聞かせられるような話ができるのだろうかと疑った。
ところが先生の面白い話は方々で引っ張りだこになり、先生はまるで噺家のように大きなホールみんなに面白い話をされるようになり、やはり噺家になられたと思った。
ずいぶん時がたって、ある人が河合隼雄先生の話を聞いたけれどまた同じはなしだ!繰り返しに過ぎないと言った。そのとき私は、確かに河合隼雄先生の講演は長い間続き繰り返しが多くなった。さすがに、先生自身も同じ話をしないように周囲の人に聞いて何を話したらよいか聞いていらっしゃったこともある。
先生はいつも努力している人で何か新しいものがあるはずだと思って機会あるごとに話を聞いていた。大部分は聞いたような話だけれど、一つでも二つでも何か新しい、自分にとってためになる何かがあるのではないかと思って聞いていた。
後になって私は大学の図書館で圓朝全集を見つけた。その第1巻は『真景累ヶ淵』であった。
この『真景累ヶ淵』は圓朝が、西洋から輸入された精神医学の啓蒙に伴って、幽霊というたましいが幻覚や妄想にされて世の中から消えてしまうことを惜しんで作った話であった。そのことが真景累ヶ淵の冒頭に圓朝の語りで最初に出てくる。圓朝は時代の変化を敏感に感じ取った人であった。
この話は圓朝が高座で語ると、速記者が語りの文章に書きとめ、雑誌に掲載され、広く読まれたのだった。物語は印刷され、口語体の言文一致の文章で世の中に広まった。これが元になって現代の言文一致の文章ができたということである。
圓朝は物語を創作しながら語り継いで行ったらしい。私には圓朝が物語を作りながら話して行ったことと、河合隼雄先生がそのとき、そのとき考えながら、時には壇上で上を向いて空を見つめ考えながら話を継いで行かれた姿が思い出され、圓朝の語りと重なるのである。先生は確かに噺家であった。
真景とは神経のことで、たましいの話として圓朝は物語を作った。河合隼雄先生も心を本当に語るためには物語を語らねばならないというお考えが初めから心に持っていらっしゃったのではなかろうかと今これを書きながら思うのである。ずいぶん後になって物語というのが出てくるけれど、先生は物語を心理学の方法として出すのにずいぶん時の到来を待っておられたのではなかろうか。先生はプリンストン大学で源氏物語を読んでいられた。その良い時に村上春樹さんが会いに行かれ、物語で意気投合されたのではないか。これもまさにシンクロニシティである。村上春樹さんの物語では「空気さなぎ」としてたましいが蘇っている。空気さなぎ、それは村上春樹さんの心の中に出てきた現代の幽霊である。幽霊はいつの時代にもどこかに生きていて、それこそが人生を意義あるものにしていることを村上さんは言いたかったのではなかろうか。たましいは心理学でとらえることは難しく、物語ることが今のところもっとも適切である。