僕はニジンスキーの奥さんに会ったとおっしゃった。それも一度だけではなかったから、かなり先生の心にかかるものがあったと思われる。
ニジンスキーはその昔素晴らしいバレーの踊り手だったとだけ知っていた。ニジンスキーはロシアバレー団の主宰者ディアギレフと同性愛の関係にあったが、別れ、バレーに魅せられたロモーラ・ド・ブルスキーという高貴な家柄の女性と結婚した。その後ニジンスキーは統合失調症を発症し、精神病院に強制入院となった。
私のニジンスキーについての知識はその程度で、同性愛の人は、関係が破たんすれば自殺か、精神病発症の危険があるという私の個人的な仮説の元になった。
しかし、河合隼雄先生の自伝『未来への記憶』を読むと、ニジンスキーの奥さんとの出会いにかなりのスペースを割いてあり、「すごく大事な体験」だったと書いてある。
ニジンスキーの奥さんは日本の宝塚の少女歌劇が好きで、A・Tと日本語で話をしたいと日本語を習いにやってきて、先生の帰国直前に、彼女にとってのもっとも大切なことを出してきた。
「これはだれにも言っていないけど、あなただけに聞きたいことがある・・・ディアギレフと同性愛関係を保つことによってニジンスキーは踊り続けることができたんじゃないか。そこに自分が入り込んで結婚したために、ニジンスキーは分裂病になったんじゃないか、それをおまえはどう思うか・・・」
ニジンスキーの奥さんは日本語を習うとか言って河合隼雄先生に会っていたけれど、無意識は河合隼雄先生に会うことによって心の深層に閉ってあった人生の最大の問題、自分がニジンスキーと結婚したために彼を統合失調症に追い込んだのではないかという思いを表してきたに違いない。この質問に先生は次のように答えている。
「人生のそういうことは、なになにしたのでどうなるといふうな原因とか結果でみるのはまちがっているのではないか。ニジンスキーという人の人生は同性愛を体験し、異性愛を体験し、ほんとに短い時間だけ世界の檜舞台にあらわれて、天才として一世を風靡した。しかしその後一般の人から言えば分裂病になってしまった。しかし、ニジンスキーにとっては非常に深い宗教の世界に入っていったということもできる。そういう軌跡全体がニジンスキーの人生というものであって、その何が原因だとか結果だとかいう考え方をしないほうがはるかによくわかることではないか。」
この答えが私には印象的で、これこそ河合心理学の大事なところだと思った。
この言葉の前に、ニジンスキーの奥さんが、ニジンスキーをベルビュー病院のビンスワンガーに託そうと思っていた時、その息子が自殺して奥さんが大変驚いたことが述べられている。
河合隼雄先生は、息子に自殺されたビンスワンガーが因果関係で考える精神分析をやめ、現存在分析という一回限りの人生の存在の哲学を考えたことを重く見られたのである。このことは何回か話をされた。ビンスワンガーは息子に自殺されて、原因結果で考えるのではなく、現存在ということで考えたのだと。それを具体的に述べるとニジンスキーの奥さんへの答えとなっている。先生のお考えはずっと後に固まるのだが、その具体的な答えはすでにニジンスキーの奥さんであるロモーラが引き出していたことになる。ニジンスキーという人の人生はこういうことだったのではないかと言われ、奥さんは自分の人生が心に落ち着き、芯から満足されたと思われる。
このニジンスキーの奥さんとの出会いによって、ニジンスキーというバレーの天才の人生を物語としてとらえ、そして自分もふくめたすべての人のこころの人生を物語としてとらえるその基礎が出来上がったのではなかろうか。現存在分析などむつかしい言い方でなく、その人の物語といえばもっとわかりやすくなる。そして物語ということで王朝物語を読み、源氏物語を読み、村上春樹さんとの出会いもあったと思う。何か不思議なシンクロニシティを感じるのは私の妄想であろうか。