河合隼雄先生の教えの中に「決して喧嘩をしない」というのがあった。誰とでもわかり合うというのが先生の生き方だった。先生は沢山の方と対話し、その記録が対話集となって出ているが、内容の多くは「そう そう」とわかり合うもので、同町的対話というものである。したがって、臨床心理士の資格問題で厚生省や精神医学会と関係で話し合われるときでも相当気を使ってできるだけ喧嘩にならない容易に気を使われた。心理臨床学会の中でも精神分析や行動療法など違った立場の考えの人たちとも、相手の立場に配慮し、違った点を際立たせるよりも、常に同じところを見出すような意見の述べ方をしておられた。イメージの法った先生の立場と行動療法とは表面全く違う訳であるが、実際のクライアントとの関係で治療がうまく行くときはほとんど区別がつかないように同じようなプロセスになっているはずだというような説明をして、できるだけ違いを指摘しないようにしておられた。
常に同じ点を見出していく先生の生き方と、できるだけ違ったところを見出したい私のような生き方とはずいぶん違う。
ユングは個性化と言ったから、個性を伸ばすことが大切であると私は考えた。個性を伸ばすと一人一人が違ってきて、そこに違いが出てくる。違いが出ると対立する。対立したものは戦う。進化の過程で個性が出てくるとなわばりを作って喧嘩をするとローレンツは言った。私の心理学では個性の発達と攻撃性の発達は裏と表の関係で密接に関連していることになる。人を攻撃非難する能力の発達無し個性化は無理である。
しかし、河合隼雄先生の立場では、個性を発展させても、できるだけ一致点を見つけて和を保って行こうという生き方であった。
それは先生の独特の客観的な見方から出てきていると思った。
先生はいつも他者との対立は避けられるが、常に自分の中では常に対立した考え方をされていた。それは数学的な思考法とでも言った方が適切で、A+があればA-がある、A+とA-を対立させながら考えをめぐらしていた。たとえば、不登校の子どもたちの生き方として、何としてでも学校へ行くべきだという考え方もあるし、学校へ行かず自分なりに生き方を見つけることも可能であると考える。子どもが悪いことをしたとき、悪いことは悪いときっぱり叱るやり方もあるし、決して叱らないやり方もある。決して嘘をついてはいけないというが、嘘も百辺言うと本当になるかもしれないと先生は考える。このように対立的に考えているから、どんな相手のどんな意見に対しても常に合わせることができたのである。
このような先生同調的対話の中で一点気になったところがあった。それは井上ひさしさんとの対話で、井上さんが、自分の母親が子どもを捨てるところはどこにでも見つかるが自分を捨てるところはなかなか見つからないと言ったこと対して先生は何も答えていない。限られたスペースでかけなかっともいえるが、しかし、井上ひさしさんはこの点について何か先生に意見を聞きたくて出されていたと思う。実際井上さんは児童養護施設に入れられた経験があったのだから。