ひと昔前、家庭内暴力が流行った。それは大体息子が母親に対して暴力を振るった。娘が暴力を振るう事例は少なかった。時代がったってそういう事例を担当した人々は多く引退して、今の若い人は家庭内暴力で家の中がめちゃくちゃになった事例を知らないのではないかと思う。
その家庭内暴力では、一番弱い立場の母親が殴られ、その暴力を止められない父親が息子を殺した事件も起こった。このときすでに息子対父親という対決は消え、反抗期という言葉は生きていたが、内実は子どもと親の対決になっていた。
今は、厳しい親にいじめられた子どもたちの問題に出会うことが多い。それもほとんど母娘の関係で、父息子の関係は消えてしまったように思う。
代わりに厳しい母親の問題が出てきた。厳しい躾の背景に“こうすべきだ”という考えがある。母親に正しい生活習慣の考えがあって、その通りにしないといけない。「出したものは片付けなさい」「脱いだものは洗濯機に入れなさい」「ゲームは30分だけにしなさい」「早く起きなさい」「早く服を・・」「早くご飯を・・」などなど、母親の正しい考えとはこんなものでたいしたことはないけれど、それは生活習慣の原則で、子どもの出来ないところを見つけて次々に口から出てうるさい。正しいことを考える母親は口うるさくなり、嫌がられてしまう。
そういう母親はお嫁さんとうまくいかないから娘と共に暮らす。娘も母親と共に暮らすのは嫌だから働きに出て、子どもたちを母親に預けて夜遅くまで働く。口うるさいおばあさんに育てられた孫はほとんどスキンシップを経験せずに育つ。そこに愛着障害の、アスペルガーと呼ばれる子どもたちが出てきているように思う。
曾祖母、祖母、母親、親子三代にわたって厳しい躾が行われるとスキンシップが不足して頭で考える躾が優位を占めるようになる。母親はスキンシップの大切さを頭では理解して子どもを抱っこしたりするが、身体接触の芯の効果は薄く子どもには不十分なようである。
昭和四〇年代に粉ミルクによる子育てと共に始まった「抱き癖をつけてはならない」というスポック博士の育児書の指導は、今愛着の不足と口うるさい厳しい躾となって、アスペルガー的な性格の子どもたちを多く作り出しているように思われる。
これらの問題は誰の責任でもない、時代の流れで仕方がない。私の世代は理想的男性像に引っ張られていろいろな反社会的行動を起こして、労働問題まで起こして行ったように思う。その労働問題で成長した民主党は政権の座に就いたが実行力は乏しかった。今再び、保守政権に戻ったが、もはや昔の男性的理想像の派閥の親分に引っ張られる保守党ではない。周知を集めるやり方に変わりつつあるのではないか。私たちはこのように時代の流れに翻弄されていく。母娘の問題も時代の変化によって起こったものである。個人に責任はないけれど、抱え込んだ問題は一人ひとりが解決しなければならない。
正しい生き方はある人にとっては正しくない。その時々の状況でどう生きたらよいかをみんなで考えて行きたい。