納得できる話し合いの真相対話的心理療法

今年も幸いなことにサンフランシスコの郊外の山中で休暇を過ごすことができた。そこは標高700メートルほどのスカイライン通の途中にあり、50メートルほど下った谷間にあるので、テレビも携帯も通じない所で、世間から隔絶して過ごすには良い所だった。近辺には野生の七面鳥や鹿が群れていた。

そこで自分の将来の道しるべとなる夢を見たいと思ったけれど、それほど成果はなかった。時差ボケがひどく、眠ろうとしても眠れないことから、「目を覚ませ」という警告を感じた。

自分の目を覚まさせたものは聖徳太子の17条憲法であった。

17条憲法の中身を読んだのは初めてで、そこには国を治めるための基本的な考え方、それも人間関係のことについて書いてあって、これは臨床心理士の必読書であると思った。

「和を以って貴しとなす」ということも、これまで自分を抑えてみんなに合わせることだと考えていたけれど、そうではなく、人はみんな一人ひとり個性的で、考え方も生き方も違うのだから、それぞれの意見を聞いてまとめていくことが大切だと読めた。

第17条には、「小さなことは自分で決めて良いけれど、大切なことはみんなの意見を聞いて決めなさい」と書いてあった。

時代が下って現代になると、この第17条は「聖徳太子は一度に沢山の人の意見を聞いた」となっている。ほとんどの人がそう教えられている、聖徳太子の伝説となり、第17条の真意が忘れられていると思う。しかし、実際のところは「それぞれの意見を聞いて決める」、「話合い、納得して決める」という意味であった。そのみんな納得して決めるところに「和を以て貴しとなす」が成り立つのである。

この決め方は明治以降に入ってきた議会制民主主義の多数決とは違い、納得の民主主義である。この納得の民主主義が古来から太平洋戦争まで日本にあったのである。その納得の民主主義がアメリカから入った民主主義によって今消えようとしているのではなかろうか。

戦後の日本の政治を動かしてきた派閥政治は、この納得民主主義に近いけれど、派閥の領袖が意見をリードし取りまとめるという点で、個々の議員の意見が生かされているとは限らなかった。派閥の領袖の意向で動く、いわば強いリーダーの政治になっていた。

納得の民主主義はリーダー無しで、みんなが平等な立場で話し合えるとき、最も理想的に成立するのではなかろうか。それはみんなで考えて決める民主主義であり、一人ひとりの意見が出しやすい場が設定されなければならない。円卓の互いの顔が遠くに見える場では発言が出にくい。出来れば小グループになって、しかも時間をかけて考えることが必要である。昔の人々は話合いに時間を惜しまなかったのではないかと思う。

そこまで考えたとき、「聖徳太子はいなかった」という説があるのもうなずけると思った。

17条憲法自体、聖徳太子が一人で作ったものではなく、みんなで話合い納得して出来上がったものではないかと思ったとき、これがすっと心に収まった。話合い納得する人間関係が日本人の心の基本である、と。

これからの私はクライアントと話合い、納得する心理療法を目指すべきだと思う。クライアントに思う存分話しさせ、カウンセラーも感じたことを述べ、そこに相互理解による安心感と確実な進歩が生まれてくると思う。それが真相対話的心理療法である。

 

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