沖縄の人々の心

マイルが4000マイル消えるというので沖縄に行ってきた。また懐かしい人々に会うことができた。忙しいので連絡不足であったが、会いたい人に会うことができて嬉しかった。

メールのやり取りを見ると1年前に集中教育分析でお会いした人がいっそう美しくなってお見えになった。素敵な方との出会いがあって、来年結婚されることになったということであった。

教育分析とは自分と出会うための心の作業である。自分の生まれた環境、これまでの経験、そしてこれからどう生きるかを考え、未知の自分に向き合うことである。私は、「自分に素直に向き合うと素直な良い出会いがある」と益々思うようになった。精神分析もコンプレックスの解消も考えず、ひたすら自分に向き合う。それが心理療法あるというのが今年の研究成果であった。

去る10月に会った20年前の卒業生も来年結婚するという。彼はとてもゆっくりした話し方で現代的ではない。ところがインターネットで女性が見つけてくれて、会ってみると、何も飾らなくてよく、ありのままでいられる人であった。広い公園の木陰で彼は缶コーヒーを彼女はビールを飲んで、このままの自分でいいと言ってくれた。出会い方は現代的だが、二人の関係はしっくりいっている。私のところに来る人にこんな幸せに出会ってほしいと思う。

与那原の「うえはら応用心理学研究所」で半日お世話になった。懐かしい方々と1年ぶりにお会いして自分の夢を聞いて頂いた。夢の講義をするというよりも、受講者のみなさんを分析家にして自己分析をするような仕事で、自分自身との出会いを再確認する作業であった。

上原さんの家の前は川で、いつもは小魚の群れや鷺が見えるのだが、あいにく風が吹いてそれらは見えなかったけれど、ベランダに並べられたブーゲンビレアは昨年よりずっと美しく咲いていた。来年は上原さんの研究所も一般財団法人にされるそうである。そういう後ろ盾のあるところで勉強すると社会的にしっかりした存在になってカウンセリングが生きてくるのだと思った。私もそういう活動に少しでもお役に立てたらと思っている。

沖縄のリーダーの一人、K先生のオフィスで開かれた研究会にも参加させて頂いた。前日、忘年会があって、参加者は少なかったが、参加された方々の箱庭や夢を分析することができ、積極的に生きる現代女性のたましいを見た感じで、名古屋も沖縄も変わりないと思った。

K先生のオフィスは、生活感のあふれる私の面接室と違って、床の間に椿や木苺が活けられ、静かな音楽が流れるステレオのところにはホトトギスが活けてあった。

ホトトギスは沖縄では年中咲くそうで、表の鉢にはホトトギスにいっぱい実が付いていた。私の庭にもホトトギスがあるけれど、実を見たことがなかった。

その夜は、琉球大学名誉教授永山哲男先生の定年退官記念パーティーにお相伴させて頂いた。パーティーは永山先生ご夫妻のピアノとバイオリンの演奏で始まり、イタリア民謡あり、ジャズあり、そして組踊の人間国宝宮城能鳳さんの歌と三線を聞くことができた。最後はお名前は判らないが、喫茶店の店主の方が「よいとまけ」をピアノを引きながら歌われた。それはそれは美輪明宏さんも顔負けのような迫力のある心が動かされた歌であった。楽しい夜だった。

人間国宝の宮城さんは74歳、オー・ソレ・ミオを歌われた方は73歳。永山先生よりずっと年上で、この会をライブハウスで主催された西江重信先生も60代半ばであろう。西江先生は大学を定年退職した後、「いへや”薬草王国・野の菜女王国”物語」を主宰しておられる。定年退官パーティーとは言え、集まった主要な方々は主賓より年配の方々であった。我々の仲間にようこそ!という感じの集まりであった。こういう方々が時々集まって楽しく時を過ごしていらっしゃるのだろうと想像する。

翌日は月曜日で博物館も図書館もみんなお休みで、市庁舎の前にあるショッピングセンターの上にある本屋さんに行って本の立ち読みをした。

沖縄の本屋さんには沖縄に関するコーナーがあるのに驚いた。一つの書架の両面にいっぱい沖縄に関する本が並んでいたので驚いた。K先生によれば児童図書のところにも沖縄のコーナーがあるとのことだった。

沖縄の人々が如何に沖縄意識が強いかがわかる。名古屋の大きな本屋さんにも愛知県のコーナーはないだろう。

本屋を出てから、この沖縄意識はどこで培われたのかと考えた。

沖縄は昔中国隋に攻められ、中国の属国のようになった。毎年中国に朝貢し、琉球王が即位するときは中国から使者が来て、王を任命し、1年間滞在した。つまり中国の監視下にあったのである。毎年やってくる中国の使者を王は出迎え、宮殿の上座に座らせ、王ははるか遠い末席で9拝したのである。朝鮮は攻めて来なかったようであるが、朝鮮から贈られた仏典は寺を作って収められた。その寺は島津によって焼き払われ仏典は奪い去られた。今沖縄は日本の一番南の東シナ海に面しているために、米軍基地として利用されることとなった。ここに自衛隊の影はないに等しい。米軍基地が無くなったら自衛隊が駐屯するだろう。

琉球王国という観点から見ると、沖縄は中国や日本から支配され、島にやってくる人々の文化を取り入れながら、自分たちの文化を維持している人々であると思う。アイデンティティが必要になるはずである。

沖縄には独特の生活感がある。それは模合である。本来は無尽講のような民間の金融システムであったらしいが、今では社交クラブになっているのではないかと思う。今の沖縄市の街の人が書いたエッセイに、われわれは夜街へ出て、仲間と酒を酌み交わし、話をし、ときには歌い踊る。沖縄で暮らし人と付き合うには繁華街で交際費を使わなければならない。だから交際費は沖縄で暮らすための必要経費であると書いていった。先に紹介した西江先生が企画された永山先生の退官記念パーティーもその模合のたぐいの集まりではないかと思った。東京でも関西でも名古屋でも、沖縄出身の人たちはよく集まって沖縄の模合を続けている。沖縄の人たちは集い、おしゃべりし、飲み、歌い踊る。みんなが素直に楽しむ。模合は沖縄のたましいの居場所である。

パックツアーではこの沖縄の社交の世界を経験することはできない。これを経験するには沖縄に住まねばならない。私はK先生のお陰でちらりと沖縄のたましいの世界を見せていただくことができた。だから、沖縄はまだまだたましいの生きている世界であることをこのブログの読者の皆さんにお伝えしたい。

たましいの生きている世界だからこそ、こちらと同じく心の相談は多く、心療内科は繁盛しているようなので、悩みは結構あるのであろう。

今回の訪問は沖縄の人々の生活の一端に触れた旅であった。沖縄のムード、つまりたましいに触れたので、沖縄ボケして、自分のたましいを取り戻すのに、このエッセイを書かねばならなかったように思う。

そのボケのせいかもしれないが、このエッセイはしばらく私のパソコンから消え、ITの世界をさまよっていたらしく、一昨日戻ってきた。不思議である。ITの世界では起こりえないことが起こったのだった。シンクロニシティの一例である。