弘中正美先生の最終講義を聞きに行った。先生はこれまでの経験を踏まえて遊戯療法と箱庭療法についてのお考えを述べられた。その内容は、先生の最新の著書、『遊戯療法と箱庭療法をめぐって』(誠信書房2014)にまとめられている。
先生は定年まで5年を残してご退職された。それはなぜか?先生にお聞きすると千葉大学に移った時、あそこは65歳定年だからその時65歳で大学教員を辞めることに決めたということであったが、今にして思うと、先生は残りの人生で自分の遊びを存分に楽しむためにお辞めになったのだと思う。その証拠に、新宿御苑の側に「新・弘中研」という隠居所を設けられ、そこを自分の楽しみの場とされることになったことで明らかである。
先生は名古屋女子短期大学(現名古屋女子大学)在職中ご自身で遊戯療法を実践されたが、千葉大学に移籍されてからは、学生指導が主になり、ご自身で遊戯療法を実践される機会が無くなってしまったと思う。先生としては、千葉大学に移ったことは良かったにしても、遊戯療法をやれなくなったことは残念だったに違いない。その後、臨床心理士養成大学院設置のために明治大学に移籍されたが、ここでも主な仕事は学生の指導で、自ら遊戯療法を実践する機会は持てなかっただろう。先生にとっては意にかなわぬ仕事であったに違いない。
陸に上がった河童同様に遊戯療法ができなくなった先生は、名古屋女子短期大学の相談室での遊戯療法の経験を踏まえて、遊戯療法と箱庭療法を支える心理学をまとめられ、遊びによる心理療法の理論を確立された。この理論は、ジェンドリンの体験過程に基づいて、内的なものが遊びを通じて実現していく様を見事に描き出した前向きの心理療法の理論であり、将来子どもの心理療法を支えるものとなるであろう。
先生は千葉大学以降自ら遊戯療法を実践する機会は失われたが、千葉大学の心理相談室のプレイルームを自ら設計してお作りになり、また、明治大学の心理相談室でもプレイルームを自らの設計でお作りになった。名古屋女子短期大学の教育相談室にお作りになったプレイルームを合わせると、3つのプレイルームを自らの設計でお作りになったことになる。プレイルームを自らの設計で作る機会を持つ人は稀である。それを3つも作ったと、控えめな先生も誇らしくおっしゃった。それは弘中先生にして可能だった。私はそのことを退職記念パーティーで紹介すべきであったが、壇上に上がると考えがまとまらない自分は紹介しそこなったので、ここで述べておきたい。
明治大学の相談室は高層ビルの中にあって、そこには子どもがバケツで水を入れても構わないような排水設備を持った砂場が作ってある。また、天井から子どもがよじ登れる綱が下がっている。玩具棚も幅広のゆったりした玩具の出し入れがしやすい特別注文の棚である。
こういう設備を作るには相当に事務方との折衝が必要だったと思う。先生は事務方に無理を言ってプレイルームを作られたのである。そのためか退職記念のパーティーに事務長さんが招待されていた。こんなことは学長や学部長の退職記念パーティーでしか無いことではないか。
この経過を見ると、先生は遊戯療法を実践する機会を持てない代わりに、学生たちが思う存分遊戯療法や箱庭療法ができる設備を自らの遊び心でお作りになったのだと思われてくる。
先生は特大のゴジラが好きである。先生はゴジラのような遊びだましいを持ったお人だと思い至った。「新・弘中研」というプレイルームから何が生まれてくるだろうか、楽しみである。
この著書のなかに、箱庭を作品として残すのではなく、砂箱のなかで遊ぶ子どもの割合を10歳を境として、砂箱のなかで遊ぶ子どもが急激に減少するということであった。小生も小学校高学年では箱庭療法は難しくなると考えていたが、それを発表された事例研究に基づいて数値示されたところが先生の学者らしいところであると思った。
先生の玩具の集め方は、先生自らマニアというほどであり、また、子どもの遊ばせ方も半端でない1坪ほどもある砂場に溢れんばかりに水をいれることを許したり、大人の背丈以上も高く積んだブロクに子どもが上がることを許したりというものであった。
先生は徹底して遊戯療法を実践された方であると思う。
後の退職記念の会で言うのを忘れてしまったが、弘中先生はプレイルームを3つも作られた。こんな者はいないだろうと先生ご自身も言っておられた。最初は名古屋女子大学で、次は千葉大学で、3つ目が明治大学で。明治大学のプレイルームも名古屋女子大学同様大きく作ってあった。その砂場は名古屋女子大学よりももっと深く作ってあったので、子どもは水を入れたがるけれど大丈夫ですかと聞いたら、水を入れても大丈夫なように作ってあるとのことだった。高層ビルのなかに水を入れても良い砂場を作るなんて、先生の発想は良いとしても、それを建築業者に注文する事務方は大変だっただろうと思う。
パーティーには事務長さんもいらっしゃって、大学院設置のことを主にはなしされたけれど、実際は、砂場の件、天井から吊り下げるロープのことなど、弘中先生の予想外の注文をこなされたことと思う。これこそ概念以前の、弘中先生の遊戯療法にかけたたましいのなせる技ではなかったかと今にして思う。こういうことを挨拶のなかで言えなかったのも残念至極。ここに書いてみて、弘中先生の遊戯療法だましいに敬服する次第である。