大学を定年退職し、ダンケの専任カウンセラーになり、やがて知らぬ間にフロイトもユングも河合先生も霞んできて、何か自分らしく生きるようになった。相談の面接をしていて何事も自分らしく判断しているように思う。それが結果的に良いことにつながっている。これは自分の生き方に自分の全存在の重みがかかるので、何か不思議な力がかかっているからではないかと思う。
借り物の心理学で動いているとなんとなく存在が軽くなっているのではないか。その分面接の効果も薄れてくる。巷のカウンセリング・スクールで学んだ人が街の真ん中で心の相談室を開いて繁盛しているのも、僅かな知識で必死にやるから何とかなるところがあるのではなかろうか。知識や技量はないけれども、自分の存在をかけてやるところに道がひらけて来るのである。
よく勉強した臨床心理士はまだまだ自分は未熟だから開業なんてとてもできないと思っている。そういう思いを抱いている間はずっとダメで、せいぜいにスクール・カウンセラー止まりであろう。スクール・カウンセラーは大学院で習った知識で何とか出来る。その場その時どうすれば良いかは現場の状況が教えてくれる。何か問題が起きた時はワーキンググループが補助してくれる。
ある程度の技術を覚えたら開業し、お客さんの反応を見ながらやり方を考え判断していく。その主体性があれば開業できるのではないかと思う。問題は自己責任、自分で何事も責任を取ることである。その仕事に自分の存在をかけて行くとき何かが成就するのではないか。
幸いにして、私のオフィスの周りには、洋食屋、和食店、お好み焼き屋、喫茶店など、私たちが檀渓心理相談室を開く以前から長く続いているお店が多い。みんな自分らしい生き方をされている。自分らしく生きる時、人間関係がついて来て、その関係のなかで生きていける、それがこの上なく大事なことだと思う。私もどうやら街の職人仲間に入れたのではないかと思う。