先生とその弟子

孔子には沢山の弟子がいた。そのうち側近の弟子については、性格や能力について語っている。弟子もまた孔子にあの人はどうだと聞いている。一方、私の師匠河合隼雄は弟子と言える人を作らなかったし、側近の人について人物評価を聞いたことが無い。
 先生は冗談ではおっしゃっていた。小渕首相はいつも「すみません、すみません」と言っている。それは「I’m sorry」ということで、「I’m 総理」と言っているのだと。私には「西村君の時計は6時間ずれているけれど、三好さん(三好郁夫―メダルト・ボスの『夢』の訳者)のは手回しの時計だ」と言われた。実際三好先生は夢研の前日にお出でになったり、終わる頃にお出でになったりした。電車に一緒に乗っていて質問すると、5分位経って返事が返ってきたことがあった。本当に真摯に考えて対話をされる先生だった。
 箱庭療法というものを最初に河合隼雄先生のところに見に行った時、前日先生の前である人が作った箱庭を私に見せて、「この人はここが問題だ」と言われた。その箱庭を作った人は私も知っている人だったので、その問題点は的確な指摘であると納得した。このように河合隼雄先生は的確な評価をしておられたが、決して表には出されなかった。
 人物評価をした師(孔子)は弟子を作り、人物評価を表に出さなかった師(河合先生)は弟子を作らなかった。
 師匠河合隼雄先生は自分のことに一所懸命だった。だから人はみんなそれぞれ好きにすればいいという考えだった。弟子を作ろうとされなかった。
 私は内心、自分は弟子だと思ってきた。みんなもそれぞれ河合先生に自ら学んで、内心弟子だと思っているのではなかろうか。
 ではみんな自分の好きなことを追求しているのだろうか。みんなどうしているのだろう。学会で研究発表を続けているのは、コラージュ療法の森谷寛之先生くらいではなかろうか。河合先生に教えを受け、自分の道をしっかりと歩んで仕事をしている人は弟子といえるのではないか。河合隼雄とその弟子は今一人ひとり我が道を歩んでいて、互いに交わることはない。
 師匠河合隼雄先生が「あの人はこうだ」と言われなかったように、私たちは「河合隼雄はこうだった」と語らうことがない。寂しいことだ。この寂しさの中に河合先生も生きておられたに違いない。

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