個人的なことを書いてすみませんが、今月始め姉があの世へ旅立ち、その後うつになって、自分のことは何事も後回しになって滞っているように感じられます。亡くなった姉は6人きょうだいの4番目で、私にとっては始めてのきょうだいとの別れというかんじです。その上の姉は私よりひとまわり年上で、6年前に亡くなったのですが、家事や子育てに忙しかった母に代わって私の世話をしてくれたらしく、母のような感じがしていました。
今度亡くなった姉は私が河合隼雄先生の近くにいることを喜んでくれました。たましいの存在や生きることの意味を深く追求するところがあって、その悩みを深めることができず、実存うつ病になっていたと思います。知り合いの先生にもお世話になりましたが、問題を言語化することはできず、行為化して出すこともできないで、年とともに消極的な生き方が影響したのか、パーキンソン病的になり、発語が不明瞭になり、嚥下困難になって、遂には喉からの栄養補給も受けました。最後は水分の点滴補給だけになって半月ほど生きました。姉のたましいは心の底で人生を生きようとしていたのだろうと思います。
後添いに入ってできた一人息子は、大学を中退して音楽の道に入り、姉を驚かせました。音楽の道に入ったものの、15年経って演奏家としての自分に限界を感じて、アメリカに渡り、ギター制作の職人になりました。今では日本の狭い家や堅苦しい伝統的な文化から解放され、家も環境も広々としたアメリカの自由な世界に生き、自分にふさわしい道に生きがいを感じています。母親ができなかったたましいの実存的な生き方を息子が実現していました。たましいのいのちは世代を越えて親から子へ受け継がれて行くのだと思います。生まれて死んでいく人間の個人的な命と、世代を越えて生きているたましいのいのちの違いを感じました。たましいのいのちはこのように親から子へ、人から人へ受け継がれていくのだと思います。
姉の死によって私が少しうつになったのは、姉と同様に実存的な生き方を志向していたせいだと思います。甥と同様に、姉のたましいが私の中に入って来れば私のうつは治ると思います。以前おばあさんの死を契機に登校できなくなった子どもがありました。その子はおばあさんの死によって生きる支えを失ったように感じたのでしょう。おばあさんから母親へ心の支えが移し替えられるようになって、子どもは学校へ行けるようになるのです。喪があけるというのは見失ったたましいを取り戻すことだろうと思います。
今ではこのようなことを書けるようになって、私もうつから解放されたのだろうと思います。