反抗期という言葉が消えた

反抗期という言葉が消えた。もう3年くらい前になるが、ある方から青年期の本をいただいた。編集者は複数で著者はもっと多かった。この本を見ているうちに反抗期と言う言葉がどこにも見当たらないことに気づいた。一人の権威者が考えをまとめる時代では無くなったのかもしれない。

現在でも一人の人が本を書き独自の考えを披瀝しておられる。しかし、それは一人の専門家の独自の考えで権威的なものとは評価されないのではないか。

権威的なものが個人から離れてしまった。その発端は学園紛争である。大学には権威的なものが集まっていた。権威に反発する学生が大学の学部長や学長に反発した。それから50年経った今権威は個人から離れてしまった。学識と経験の豊かな人、いわゆる権威的な人が世の中の表舞台から消えた。

代わりに出てきたのは解説者ではないか。

今はシステムの時代になった。臨床心理の世界ではDSMというアメリカで作られた診断基準が広く用いられている。DSMは精神疾患の症状の分類学である。分類された症状の背後の心理とか治療法は一切書いてない。それは薬物療法のためのもので、どの症状にどの薬物がどのように効くかを考えるための分類システムである。このDSMというシステムを精神医学界で守っていこうという訳だ。だから、DSMというシステムの解説者が必要になっている。

アスペルガーとかADHDとか発達障害という言葉は問題の表面的な状態を言い表していて、そういう症状の背景にある心理とか、それを引き起こした原因、家庭環境の問題、親の側にある要因は一切関係がない。また、そういったことを表だって言えない時代になっている。そういう時代精神に合った精神医学の分類体系がDSMである。現在はこのシステムがあって精神医学の権威者はいない。権威というよりも医師や臨床心理士が使う症状分類システムが重要で、その解説者が必要になっている。しかし、DSM自体が委員会で作られたものだから元々権威者などいないのだ。

話は変わるが、10年前まで河合隼雄先生という偉大な方が居られた。先生が亡くなられたとき、かつて友人であり、ともに深層心理を研究する研究会を開いて居られた笠原嘉先生(偶々臨床心理士の資格問題で互いに対立する立場になられたのだが)が「河合は弟子を作ったか」と私に問われた。私は「いや、誰も作られなかった」と答えた。河合隼雄先生は「みんなそれぞれ好きなことをしたらええ」という考えであったし、それが京都大学教育学部の気風だった。だから「私は河合隼雄先生の下で学んだユング心理学者だ」なんていう人は一人も無いと思う。みんな河合先生の下で学んだが自分は今これをやっているというだろう。河合先生はユング心理学の権威者であったがその後ユング心理学の権威者はいない。権威的なものに従うとか、反発するとか言うことはなくなった。それと同じく反抗ということがなくなったのだ。

50年前は旧来の心理学に裏打ちされた精神医学の時代で、京都大学の権威的な精神医学の分厚い本があった。それが今は無い。古書でも手に入りにくいだろう。学問の権威が消え、DSMというシステムの本になったのだ。

同時に父親の権威も無くなった。父親は会社や自営業で働く人になった。家庭も一つのシステムになり、父親は家庭というシステムを支える人になった。

父親や母親はシステムの世界を生き抜く人で、生き抜くことで人として子供達から尊敬されるのではなかろうか。就職試験で年配の面接官はあなたの尊敬する人は誰ですかと聞く。しかし、スティーブ・ジョブズとか本田圭佑と答える人よりも、尊敬する人は私の両親ですと答える方が無難らしい。システムになじみやすい人が採用される時代になった

尊敬する人は私の両親ですというのはきわめて現代的だ。今はテレビの映像を通じて人と会うので、相手の人格的雰囲気などは直接伝わってこない。チャップリンと直接会った人が言っていたが、チャップリンと対面したとき何かが降り注ぐような感じがしたと言うことであった。サッカーの西野監督もテレビで見るその表情でしか人柄がわからないが、直接会うと意気込みや気迫が降り注ぐように伝わってくるかもしれない。直接会える偉い人、それは毎日毎日人のため家族のために働く両親があればそう言いたくなる。それが人間の自然の姿である。

権威的なものは消えて自分を押さえつけるものは無く、反抗も反抗期も必要無くなったのだ。

権威がやたらとはびこった時代、それは異常な時代だったのかもしれないと思う今日である。