今年の心理臨床学会で自分が歩んできた人生を発表することにした。昨日書き上げて指定討論をしてくださる先生に送ったが、最後に自分に出来なかったことをいくつか列挙した。
その一つ、自分はどうしても学術論文が書けなかった。私が最初に行った夢分析の事例は当時河合隼雄先生や笠原嘉先生三好郁夫先生に大変良くなっていると評価された。三好先生は授業に使うから資料を貸してほしいとわざわざ借りにみえた。その事例は学術論文にして報告していたら最初の夢分析の事例として注目されたに違いない。またがん患者の夢分析の事例も、キューブラーロスの死の過程とは違う、死の内的な過程として意義あるになったであろう。
しかし、人の夢のシリーズを学術的に分析するとフロイトではこうだユングではこうだと魚を料理するみたいに切り刻んで仕分けしなければならない。私にはそれがどうしても出来なかった。その事例を経験してからほぼ50年も経っているのに出来ない。人の心を学術的に分析することの難しさを感じる。
私は心理療法の実際家で研究者にはなれないことをつくづく感じた。
大学の教員を35年ほどやったけれど、学者にならずに終わった。その代わり教員を定年退職してからこの10年間、小さな池から大川に出た魚のように自由に泳ぎ回っている今の生活は幸せである。
ダンケのオフィスのあるアパートの一階にある和菓子の職人さんは休みの日に剣道をやっておられ、その道場の剣道の先生と私がそっくりの印象だと言われる。私も実は剣道の先生の様に相談に来られる人に相対しているように思う。だから、ただ単に慰めを求めて来られる人には私の面接は厳しすぎるということもわかった。私にはやさしく温かく包み込むような面接は出来てなかった。
この夏は厳しい暑さだった。自分を振り返るのもいろいろ出てきてまとめるのが大変だった。けれど気づくことが多く有意義に過ごせた夏だった。