西村女性心理学

はじめに

フロイトはヒステリーを、ユングは精神分裂病を、河合は不登校と多重人格を研究してそれぞれの心理学を作った。新しい任地、名古屋市立大学医学部神経精神科の助手として赴任した私はそこで何を研究すべきかと考えた。私の面倒を見てくれた大原貢講師はうつ病と胃潰瘍とかヒステリーとてんかん、その他症状が交代する症例に関心を持っておられ、中々読み応えのある事例報告があった。大橋博司教授は大脳病理学の権威で、当時は何も有効な検査方法が無い時代で、脳外科の方から大橋先生に診断の依頼があり、先生が神経学的な検査をして脳のこの辺りに腫瘍があると言われ、開けてみるとそこに腫瘍があったということがあった。

私はそれらのことを学んでも理解し習得することはできなかったので、しばらく心理テストや大原先生が回してくる難しい患者さんたちを見ていた。

ある時、初心の部屋から若い女性の患者さんが飛び出して玄関を出て姿を消した。数時間後その患者さんが電車に飛び込んで亡くなったと知らせが入った。亡くなった患者さんは、産後気がふれて、初診担当医師に到底助けてもらえないと悲観して自殺を決意したのだと思った。

名古屋市立大学病院神経精神科でロールシャッハ・テストの経験を重ねるうち、産後精神的問題を抱える人たちの母親イメージが良くないことに気づいた。そこから女性の心理を研究しようを考え、私の研究方向が定まってきた・

しかし、ヘレーネ・ドイッチの『若い女性の心理』も『母親の心理』も精神分析の難しい言葉で書かれていて全く役に立たない。

しかし、研究方法を自分で定める学力もない。そのうち名古屋市大を退職し、中京大学に移籍し、さらに、愛知教育大学に移り20年いて、定年前に退職して椙山女学園大学に入った。やっと、女の園に入って女性を研究するチャンスが訪れたわけだ。女子大に入って先ず気が付いたのは、美人が多い、でもセクシーな女ではない、何事もきれいに整えなければならないことだ。きれいに片付けられない私には不向きなところであった。

そのうち手指に汗疱のような湿疹が出始め、それが益々悪化し、手指に白い軟膏を塗り、手袋まではめるようになった。

ある時、訪ねてきた学生は、自分は皮膚科でもらった副腎皮質ホルモンを塗っていたら益々酷くなったので、それを止め、今はムヒもステロイドの入っていないものを使っていますと言った。それを聞いて、ステロイドにも女子大の規則一点張りのシステムにも嫌気がさして怒りが湧いてきた。すると汗疱様の湿疹は見事に消えてしまった。

この後やっと私は女性を少し客観化し研究できるようになったと思う。

1 最初に見えてきたもの

研究棟と講義棟の渡り廊下の真ん中に「盗難注意」

という立札が立っている。今もあるか知らないが当時はあった。女子学生間での万引きがおこるのだ。ある人に良いことがあると、その人が持っているものが万引きされる。わかるような気がする。

女性のロッカールームでは盗難が起きやすい。百貨店でも女性の万引きが多発する。一々警察に届けるのは厄介だから、あまりに度重なると夫を呼んで注意をすることになると聞いた。

女性の万引きは男性の痴漢と同じくらい起こっているのではなかろうか。男性は痴漢、女性は万引きということだ。両者に共通なのは愛の盗みである。

2 女の心の壁

女子大のゼミは20人近いグループである。国立に比べると人数が3~4倍である。グループはいくつかに分かれている。他のグループの人の名前を聞いても知らないのでびっくりした。もう四年生にもなって互いに名前も知らないでいることに違和感を感じた。

また、毎回一人でやってくる学生がいて、その子は縦長の紙バッグを私との間において私に顔を見られないようにしている。私との間に壁を作っている。女性は男性を避けるだけでなく、女性同士でも壁を作っているのではなかろうか。この壁は大変重要らしい。

3 仕切る仕切り屋さん

男の世界でも仕切るということがある。祭りの屋台をどのように配置するか、屋台の集まりの親分が取り仕切るのではないか。女性は日常の付き合いで仕切が行われ、大体気の強い人仕切る。ご近所の同年の女の子4人が一緒に登下校していたが、毎日誰か一人がハバにされる。ハバにされる子は毎日変わる。ハバにされる子は不愉快だが、される子は毎日変わるからめげる子はいない。ハバにする子は中心の子で、いわゆる仕切り屋さんである。

私は大学で現職教員の教育相談の研究会を開いていて、それは院生にも実際の事例を聞いて勉強になると思って研究会の世話を頼んでいた。ある学年でしっかりした院生が居て、その人が研究会のお世話はこんな風にやって行きますと言ったので、あなたは仕切り屋さんですねと言った。すると彼女はいい仕切り屋さんでしょうと言った。仕切りにも誰にも不満のない良いしきりと、誰かをハバにするような意地悪な仕切り屋さんがあることに気が付いた。でも、仕切られると決まった日に出なければならないし、休むことも他の人の了解を得なければならなくなり、自由参加ではなくなる。私は愛知教育大学での経験から自由参加で勉強したい人はどんどん来てほしかったのだが、それな仕切で止められた。

女性の世界にはいたるところに仕切りがあるようだ。この仕切りに気が付かないと女性との関係に苦労することが多いように思う。そこは仕切りに基づいた適切な距離感があるのである。

男性は男性で、男同士の付き合いをどうしていくか、距離をうまくとる取ることが大切だが、女性は男性と違って男性にはわかりずらいものがあるようである。

4 節度 人との適度な距離の取り方

人との適度な距離の取り方は対人関係でとても大切なことでだ。礼儀とは適度の距離ということではないだろうか。

節度とは謙虚さと共に自我の強さの一面である。

境界例と呼ばれる精神疾患があるが、それは境界を守れない、節度のない人のことである。

節度を意識しすぎて人から遠く離れてしまう人もあり、逆に、人に近づくために贈り物無しに人に会えない人もある。

私は元々対人的な距離の取り方がわからなかったのだが、女性からそれを学んだところが多い。女性は自分の意見や考えをはっきり持っていることが多い。その考えや気持ちがわかると距離の取り方がわかる。お中元やお歳暮の贈り物など、季節の挨拶、自分の現状、こちらから見た相手の状況などわかり合えば、その方が人間的に豊かである。現在SNSで互いに結び合っているのは女性ではなかろうか。そこでも節度は大切になっていると思う。

5 女性はいつも心を磨いている

女性は常に自分と他の人の間を、節度を保って距離を取っている。女性が基本的に、自分に正直で、素直で、謙虚であろうとしているところがあってそれが女性を女性らしくしている。

この正直、素直、謙虚さが女性にとってすごく重要である。これが無ければ友達ができない。友達との関係を保つために常に自分の心に気を配っているのではないか。相手の態度に正直さや素直さや謙虚さがないと、それがわかるまでとことん話し合いをするのが女である。お互いに言いたいことを言い、相手の意見を聞いてとことん話し合いをする、女はおしゃべりをすると言うが、おしゃべりの中でそういうことが一々検証されているのではないかと思う。

この正直、素直、謙虚さは宗教的態度でもある。女性は日常生活で宗教的なのである。

男性は日常生活では如何に仕事を沢山して利益を上げるかに専念しいて、互いの話の中で心を磨くということはない。だから、男性は宗教的態度を獲得するために比叡山の千日回峰業や高野山の荒行をしなければならない。それに対して女性は友達関係中で日常当たり前のようにやっている。女性は自分に正直に、素直で、謙虚でないと友達関係が築けないのである。正直でない、素直でない、謙虚でない、思いやりのない人を友達にすることは無いともう。避けられて孤独になる。

男性は女性を汚らわしいと思っている。それは大変な誤解である。女性の人間関係の中を見ると決してそうではない。多くの夫は家に帰ってからの奥さんの話を愚痴と思い、問題の解決策を提示しても全く聞き入れないので、ただ聞くだけにしている人が多い。しかし、奥さんはご近所のお付き合いを話しながら自分の心と向き合い、正直さ、素直さ、謙虚さを磨いているのである。女性はこうして寺に籠るようなことをしなくても日常生活の中で心を磨いているのである。女性は日常生活が宗教的であると言って良い。男性は宗教を崇高なものと思っているが、女性にとっては宗教は日常的であることを世の男性は認識すべきである。

6 女性は愛に生きている

 娘道成寺というお話がある。若い僧侶が高野山へ学ぶために来て宿に泊まった。その宿の娘はその学僧に恋をして帰りにきっと寄ってくれと頼んだが、学僧は女に会うのを恐れて隠れて通過した。それを知った娘は学僧を追いかけた。学僧は川を越え、道成寺へ逃げ込み、寺の鐘の中に匿ってもらった。娘は蛇になって川を渡り、道成寺に行って学僧が隠れている鐘に巻き付いて愛の炎で学僧を焼き尽くし、自分も愛の炎で死んでしまった。

女はこのように愛に生きている。その愛を支えるのが、実は高野山の密教を支えている理趣経であることはほとんど理解されていない。

理趣経は7世紀頃成立した愛の宗教で、男女の関係を肯定した経典である。親鸞上人の結婚の肯定よりずっと早い。空海はこの経典を得て早く帰国し密教を起こした。男女の愛を肯定した宗教なのに、女性を厭離して実現しようとしたので、難行苦行の荒行をしなければならなくなった。

しかし、愛に生きる女性の立場から見ると、この理趣経における欲の肯定は実に当たり前のことで、女性は難行苦行をしなくてもこれを実現できるのである。

先に述べたように、女性は女性同士の関係を良くするために、自分自身に正直に、素直に、謙虚であろうとしている。そうしないと本当の信頼できる女性どうし人間関係が築けないからである。現実の女性関係は複雑極まりない。裏切りもあり、見せかけの親切もあり、お世辞もある。そんな複雑な女同士の関係を生きて行くために、女性は今日あったことを夫にしゃべりながら考えるのである。男性には無駄なおしゃべりだが、女性にとっては修業の場と言っていいほどの機会である。女性はそこでしゃべりながら心の中でいかに生きるべきか考えている。毎日が修行である。

友達を愛し、信頼し、支え合って生きている。特にグループ型の女性はグループで秘密を保ち守り合っている。厳しい親の目を盗んで恋人と旅行に行くのも友達がかばってくれる。独り型の女性でもたましいの恋人と生きることができる。決してバレることがない。女性は愛に生きるために知恵を絞ることができる。だから、世の中の多くの男性が女性は不倫しないと思っている。男性の痴漢と同じくらい女性の万引き(愛の盗み願望の変形)があるように、女性にも不倫の願望があることを男性は知らない。男性の知らないところで女性は愛に生きている。

娘道成寺の愛に生きる女性は今も現実に生きている。それを支えるのが理趣経である。不倫は不道徳であると言うけれど、警察沙汰にはならない。男性原理の世界では世の中での成功、名誉や地位、お金持ちが重要である。それに対して、女性は愛なしには生きられない。愛は女性のいのちである。

6-2理趣経の基本的な考え方について

理趣経は有名な両界曼荼羅を支える経典であるが、内容は800字に満たない短いものである。

第一章に欲はなべて清らなりと書かれ、男女のセックスのエクスタシーは菩薩の境地と書いてある。欲から生じる愛の行為はすべて菩薩の境地で清らかであるという。このように男女の愛を基本にした宗教であった。理趣経の終わりの方に、百字偈(げ)と呼ばれる文章があって、理趣経の全体を表している。金岡秀友の訳は次の通りである。

理趣経の百字偈(金岡秀友訳)

ぼさつは勝(すぐ)れし智慧をもち

なべて生死の尽くるまで

つねに衆生の利をはかり

たえてねはんにおもむかず

世にあるものもその性(さが)も

智慧の度(およ)ばぬものはなし

もののすがたもそのもとは

一切(すべて)のものは皆清浄(きよ)し

欲が世間をととのえて

よく浄(きよ)らかになすゆえに

有頂天(すぐれしもの)もまた悪も

みなことごとくうちなびく

蓮は泥に咲きいでて

花は垢(よごれ)に染(けが)されず

すべての欲もみな同じ

そのままにして人を利す

大なる欲は清浄(きよき)なり

大いなる楽に富みさかう

三界(このよ)の自由身につきて

堅くゆるがぬ利を得たり

この百字偈からわかるように欲を大切にして生きて行けば世界は蓮の花のように富みさかえると言うのである。男性にとっては恐ろしいことであるが、女性にとっては日常的なことではないかと思う。それは女性が自分に正直に、素直に謙虚に生きて周囲と調和的に生きるときに実現するのである。

7 女性はいのちを産み、はぐくみ、育てる

私は多くの女性の相談の中で堕胎の悲劇を多く聞いて来た。堕胎とは女性のお腹の中に宿った新しい命を絶つことである。昔東北の貧しいところでは間引きが行われていたと聞いた。今では意に添わない妊娠をすると3ヶ月以内では堕胎をすることが合法的にできる。しかし、堕胎は新しく生まれたいのちを絶つことだから殺人に等しい。死因の調査では1990年代まで死因の第一位であったが、今でも三位にとどまっている。まだ、生まれ出ていないから、人の世界に出て来ていないから人でないと法律的には考えられるかもしれないが、女性はお腹の中に宿ったいのちを体で感じていることを大切にすべきだと思う。

ある女性は結婚後も自分の両親と共に暮らしながら専門的な仕事についていた。二人目を妊娠した時実母が二人の子供の世話をするのはとても大変だからどうしても下してくれと主張した。自分は産みたかったけれど、産んだ後世話をするのは年寄りの実母だから迷惑をかけてはいけないと思って、下すことを決意した。その後夢を見た。自分が母親を後ろから抱きしめていて、自分は、本当は母親にこうしてもらいたかったのだと思った。親に抱きしめられ産んでいいよと言って欲しかったのだが、現実には自分が母親を抱きしめねばならなかったのだ。これは辛いことであったに違いない。堕胎を経験した女性は多くはこうした産みたくても産めなかったという思いをしているのではないだろうか。

お腹に宿った子供はすでに一人の人間なのである。それを法律上は下ろしても良いと言うけれど、母子の関係から言えば殺人に等しい。その殺人を産婦人科医は合法的に行っている。年間数多くの胎児が殺されているのではなかろうか。

一方子育てを楽しみとしたい人はたくさんいると思う。乳児院や保育所の保母としてではなく自分の子どもとして子育てをしていきたい女性は数多くいるのではなかろうか。里親制度をもっと緩く広範に認めたらどうであろうか。そういうところにお金をどんどんつぎ込めば、子育てを楽しみながら生きる女性が出てくるのではないかと思う。

厚生省はほとんど男性職員が考えているのではないか、女性もいるだろうがキャリヤウーマンで子育ての楽しみなど知らない人がやっているのではないか。だから、子育てと言うと乳児院とか保育所しか考えない。それは男性的思考の社会保障である。女性はもっと自分たちの子育て本能に根ざしたアイデアを出すのではないかと期待している。

私の心理相談の現場で見る不登校の事例を顧みると、保育士、看護師、教員というこの三つの専門職の母親が多いことを思い知らされた。保育士に任せるのでなく、もっと広く子育てをした人を施設でなく家庭レベルで広めることを女性の側から考え出してもらいたいと思うのである。肝っ玉母さん、世の中のために立ち上がってください。そうして堕胎と言う殺人の悲劇を少なくして行こうではありませんか。胎児となった子供は全て生きる権利があると考えたい。合法的殺人を少なくしましょう。

8 不登校の事例に多い女性の専門職、保育士、看護師、教員

不登校の原因は様々な要因があり、一概に何とも言えないところがある。教育体制の側にもあるし、社会的文化的背景をあり、家庭の問題も、また本人の性格の問題も様々に絡み合っている。

私の個人的心理相談室で目に付くのは母親の専門的職業、先に挙げた3つである。いずれも人を相手にした職業で、家に帰って子供の相手をする心の余裕がないのかもしれない。それともう一つはこれらの人の子育てについての悩みをあまり深く聞いたことが無いように思う。あまり悩んでいないということは、家で子供のことが視野に入っていないのかもしれない。家で子供の話を聞いてあげたり、叱って喧嘩したり、おしゃべりしたりする余裕がないのではないか。子どもは家庭でいろいろな要求や無理難題を持ち掛け、親を困らす。そうして親と話し合い、話し合う能力をつけて学校という社会に出ていく。家で話し合っていると学校でも友達と話し合える。家で叱られ叩かれていると、学校で友達を叩きいじめる。いじめっ子は大体家でいじめられている。いじめられている子も家でいじめられている。いじめを無くすには家出の厳しい躾を無くすのが一番だが、今の親たちは学校で厳しい管理教育を受けており、家での厳しい管理がいじめになっているのである。家でいじめられるというのはまだ親とのいじめによる交流があるということで、そういう子は学校に行ける。学校にいけない子たちは家でほとんど親子の心の交流が無いのかもしれないと思う。保育士や看護師や教員は学校で疲れ果て、家で互いに疲れをかばい合い大人しく生活しているのではなかろうか。不登校の子供たちは疲れた親を思いやる、やさしい子どもたちが多いように思う。

これはもっとおしゃべりの文化の女性の世界から考えるべき問題ではないかと思う。

9 母性神話とその崩壊

母親はいつも家にいて子供のことを思い、やさしく温かく接してくれるということを理想と考えていた。女性に対して男も女もそれを期待していたのではなかろうか。その理想的母親像の形成には戦後に流行ったサトウハチロウの詩集『おかあさん』が影響しているかもしれないと思う。昔の母親像について私は知らない。私の母親は朝から晩まで働いていた。絶え間なく働く人であった。稀にラジオを聴きながら石臼で黄な粉を挽いたり、編み物をしているときもあったが、農家だったから朝起きてみんなにご飯を食べさせ、遠くの田畑まで歩いて行って日暮れまで仕事をし、家に帰って夕ご飯を作って食べさせ、一番後に風呂に入って寝た。働き詰めの一生だった。温かくやさしく話を聞いて子どもの気持ちに添って動いてくれる母親なんて自分が父親になる時そういうものもあるか、あるとすればそれは理想的だと考えた。

理想的母親像は昭和50年代半ば、「スープの届く距離」という言葉が流行った頃を機に急速に崩壊した。

サトウハチロウは理想の母親像を求めて詩を書いたが、実際は温かい母親の経験は少なく、自分が欲しかった母親とのつながりを詩に書いたと思う。その理想を次第に豊かになっていく生活の中で人々は実現しようとしたかもしれないけれど、現実には不可能と知って、スープの届かない距離ということを考え始めたのだと思う。

10 理想的男性像の消失

昭和50年代家庭内暴力が流行った。学校では管理教育が厳しかった。そこには父性と若い男性との衝突があった。反抗期という言葉もまだ生きていた。男性の理想像ととして高倉健も健在であった。しかし、昔、私の若い頃の男性像はヤクザ、清水の次郎長。国定忠治、吉良の仁吉といったヤクザの親分があった。アメリカでも男性の理想像はマフィヤで親分は必ず白人でなければならなかった。しかし、ヤクザやマフィヤは反社会的勢力として社会から排除されていった。日本ではヤクザは「寅さん」になり、「釣りバカ日誌」のお笑い芸人になり、理想的男性像は消えてしまった。

今、政治の世界ではトランプ大統領や北朝鮮の金正恩が男性的に活躍しているが、まるで中学生の学校間の喧嘩みたいで世間を騒がせるばかりである。日本の安倍首相はどうか?。安倍首相は仲良しこよしの内閣だと言われている。それは前思春期の小学校高学年か中学2年生くらいで前思春期的で、『坊ちゃん』の中学生の学校同士の喧嘩にも入っていけない。

現在社会は非常に女性的原理の文化になったと言って良いのではなかろうか。でも、女性の側から女ならこうするという人が出てこない。女性が社会を取り仕切って行く時代が来てほしいものだ。

社会を導いていく人は、社会の暗いところで本当に辛酸をなめた人が一念発起して立ちあがってくる時を待たねばならないのかもしれない。学歴のある人は先ず駄目である。頭で考える手は力が出ない。苦労から出てくる愛の力がものを言うときが来てほしいと思う。女性の持っている愛の力で社会を包みはぐくんでほしいと思う。

これは私の幻想かもしれないが、力強い男性像が亡くなった後に、温かく包みまとまる社会になってほしいと思う。

11 娘と母親の問題

理想的男性像が生きていた時代はまだ「反抗期」という言葉が青年心理学の中にあった。しかし、ある時送られてきた数人の著者が書いた青年期の本をみたら、どこにも反抗期という言葉が出てこないのに気付いて驚いた。気づいた時にはすでに反抗期の無い時代に入っていたのである。反抗期は男性的な自我を確立するためにあるもので、それが無いということは、現代は自我を持つと生きにくくなる社会なっているということである。就職試験の面接でも理想的な人は?という問いに両親ですと答えるのが良い時代になっていた。

心理相談室で出会う家庭の問題は母娘の問題が多く、父息子の問題は最近皆無である。

ある女性は母親が娘の住まいの近くに引っ越そうと思っているという話を聞いて動悸がしたという。ある不登校の母親のところには毎日実母から電話がかかってきて長々と話を聞いてやらなければならないと言う。不登校の娘の問題ばかりなく自分の母親の愚痴を聞かされて困り果てていた。そういう実母の生活に音を上げた長男は海外勤務を願い出て家を出てしまった。ある人は母親と二人暮らしなのだが、もう8年間も同じ家にいて口を利いていないと言い、ある人は母親と絶交しているから、同じ悩みを抱えた人を援助するためにカウンセラーになりたいと言って、心理テストだけ教えてほしいと言ってきた。現在、友達のない母親を抱えた女性は苦労している。嫁姑の問題は背景に退き、実の母親と娘の関係が浮上してきた。家庭内暴力が激しい親子の戦いであったのに対して母娘は冷たい無言の戦いや愚痴の掃き溜めの感じで、目立たない。しかし、これは女性にしかわからない問題で、女子会で知恵を絞ってほしい。

12 母親の再婚の後の問題

つい最近のニュースで継父が小学生の首を絞めて殺したと報じられた。子どもがお父さんと呼ばないことに腹を立てた継父が怒り、子供を殺したのである。こういう事例は私の見聞きする事例の中でもあった。小学低学年の男の子が継父を家ではおじさんと呼び、外ではお父さんと使い分けていた。小学4年生の女の子は継父に中々なつかなくて、勉強の態度もだらしなくなったと言って相談に来られた。話を聞くとソファーに座り鼻くそをくじりながらテレビを見て勉強しないということだった。母親がソファーの裏側を見たらそこには鼻くそがいっぱい溜まっていた。その女の子からみたら、新しく家に入ってきた男性は「鼻くそ野郎」ということだったと思うが、あまりにぴったりの批評で言いそびれた。母親は再婚の男性にほれ込んでいたから。離婚して娘が4歳になって再婚した母親は新婚旅行にディズニーランドへ行った。その車中、娘は新しいお父さんが自分を男の目で見たと思った。思春期を過ぎ社会人になるまでは良かったが、恋人との関係がうまく行かなかったのを機に家に閉じこもり、娘は継父との間に垣根を作った。継父の入ったトイレには入れない。継父の入る風呂にも入れない。出来るだけ廊下でも出会わないようにしている。困った娘だと言われるので、娘さんにとっては継父と言っても異性であり、異性の使ったトイレや風呂には嫌悪感が出て来て当然だと説明しなければならず、また、継父にしてもそのことを理解できないらしい。問題は長期化して遷延している。

女性にとって結婚は素晴らしいものである。それを子どもが受け入れられないなんて考えられない。しかし、子どもの立場から見れば、自分のお母さんを良く知らない男に奪われることであり、娘からしたら母親を男に奪われ、いやらしい異性がいつも身近にいることになり、不快なこと極まりない。鼻くそ野郎と思うのも当たり前である。そのことに愛に夢中になっている母親は全く気付かない。愛でも恋愛感情の愛と母性愛は全く違う。この辺についての理解を臨床心理学は主張していく必要がある。

13 虐待する親は、自分は正しいことをしていると思っている

ある女性は専門的な仕事について仲良くなった男性とともに住むようになり結婚したが、子どもを作るかどうかを考えるときになって、急に子供を見ると怒りが湧き、殺したい衝動に駆られるようになった。

『日本一醜い親への手紙』を読んで、親にされたことを詳しく書いてきた。『Itと呼ばれた子』を読んで沢山付箋をつけて自分もこういうことをされたと訴えた。

その女性の母親に会おうとしたがなかなかできず、ついに母親の母、おばあさんに連れられてやって来た。その時娘が書いた母親への手紙を読んで聞かせ、お母さんはこういうことを娘さんにしましたかと聞くと、していませんと否定された。しかし、話しているうちに母親の顔は次第に横向きになり、その横向きの顔の頬がヘビの皮膚に見えて来たのには驚いた。それは一瞬のことであったが、今までにない気持ちの通わなさを感じた。

その後再び祖母と共に来談し、幾分きつく叱ったことを認めたが、ちょっと認めただけだった。その後虐待された女性も私の頼りなさに嫌気がさして来なくなった。その後約束していた日に母親一人でやって来た。私は、お嬢さんはもう私のところにお出でにならなくなりましたと言った。すると母親は一言も話をしようとしない、私だけがお嬢さんは今親友とも子供のことで付き合えず、ただ仕事だけに向かっていることを時間いっぱい説明して終わった。母親は一言も言葉を発せず黙って面接料を置いて帰って行かれた。

この時子供を虐待する人は、自分は正しことをしている、何も反省すことはないという壁のような心であることを感じた。他の事例でも私は同じことを感じている。話し合いのできない人たちがいるのである。恐ろしい人たちで私はあまりかかわりたくない。、

14 むすび

 第2回の女子会のために西村女性心理学を書き直しました。重複しているところもあるがお許し願いたい。私は45年前に女性の心理を研究しようと志を決めたものの、頭が悪いのでこれという方法論も見つかりませんでした。これまでの心理学的研究法なるものは全く使う気にならならず、ひたすら心理臨床に徹し、若い人を育てるために夜間事例研究会を大学院生と卒業生のために開き、現職教員の教育相談に参加して心理療法ができる人を育ててきました。大学や学会での出世には関心が無く、定年前に請われて椙山女学園大学に移り、初めて女の園に入り、臨床心理を教えましたが、愛知教育大学におけるほどの手ごたえはありませんでした。定年で辞めてもその後私の指導を求めに来られたのはほんの数人で、ほとんどは高名な先生のところに集まっていました。しかし、それらの人たちの中で、学会で事例報告のできるほど育った人はあるでしょうか。ほとんどはおばさんカウンセラーになって、共感と受容で話を聞くだけのカウンセラーになっておられると思います。そのような事例を聞いていると私がおかしくなっていたと思います。

私はしっかりと自分の人生を見定め、人にとって何が大切かを考えていく男性的な女性が好きでした。そいう意味でこの女子会は西村女性心理学を語る上で意味があり、病を押して頑張りました。

本日は私のまとまらない話を聞いていただきまして誠にありがとうございました。ご来場いただきました皆様に厚くお礼申し上げます。

この会を企画しお世話くださった衣ヶ原病院の長谷川泰子さん、新舞子メンタルクリニックの比嘉愛さんに心よりお礼申し上げます。また、病を抱えて出てくる私を見守ってくださいました新舞子メンタルクリニックの永田文隆院長先生に感謝します。

2019年㋈2日

西村洲衞男