長谷川泰子
季節の変わり目の今の時期、なんとなく調子が悪いという人が多いように思います。私もこの時期は花粉症に悩まされるし、皮膚のかゆみが出やすくなります。梅雨時が苦手、低気圧が近づくと調子悪いという人もいるし、日照時間が短くなる冬場は気持ちが鬱々とするという人もいます。季節や天候は、かなり人間に影響を与えるもののように思います。
近年、縄文文化に関心があり、特に土器や土偶などをあちこち見てまわっています。縄文土器というと筒状の土器の表面に縄目で模様をつけた簡素なものを思い浮かべるかもしれません。また、それとは逆に、うねうねと捻じ曲がった装飾がいっぱいに付けられた火焔型土器を思い浮かべる人もいるかもしれません。前者のようなシンプルな形に縄で模様が付けられたような土器は縄文時代前半に作られたもの、後者のような火焔型土器は、縄文後期、主に新潟や長野で作られていたものです。学校の歴史の授業では縄文時代はあっさり終わってしまうところですが、実は縄文時代は1万年以上続いた時代です。1万年というと、イエスキリストが生まれたとされる西暦元年から現代までの時間、2000年を5回以上繰り返すことになります。一つの文化がこれだけ長く続いたのはとても珍しいことのようで、近年、海外でも興味を持っている研究者がいると聞いたことがあります。あちこちの資料館を見て歩くと、縄文という長い時間の中で様々な土器や土偶が日本各地で作られていたことが分かります。縄文の人のおどろくほど原始的で力強い表現に圧倒されながらも、パワーを与えられる感じです。
縄文時代は大陸から稲作が入ってきて終わりを迎えたようです。縄文時代は狩猟採集が中心(多少の農業、木の実などを取るために植物を計画的に育てていたのではという説もあるよう)でしたが、稲作が入ってきて農業が始まり、それが文化や生活形態に大きな変化を起こして弥生時代の始まりとなったようです。弥生時代の土器は縄文のものにあった原始的な表現が全くなくなり、シンプルで実用的なもので、確かに人々の生活や考え方に大きな変化があったのだということが分かります。
稲作が始まれば食料を蓄えることも可能になりますが、縄文時代のように狩猟採取が中心だと、食料を集めることはその時の天候・気候によってより強く影響をされたのではないでしょうか。冬場には植物も減るし、冬眠する動物もいます。雨が続けば動物だって出歩かず、“狩猟採集”自体が難しくなって、食べること、生きることが困難になります。当時はちょっとした体調不良やけがも、命取りとなったでしょう。骨折でもして動けなくなれば、すぐに食料を手に入れられなくなってしまいます。天候の悪い時に無理に出歩いて体調を崩すだけでも命に関わる大事になりかねません。安定した状態の時に動き、天候の悪い時にはなるべくじっとして、エネルギーを節約していた方が良かったのかもしれないのです。
縄文時代の人は、動物的な勘を働かせ、自然の動きに注意を払いながら生きることに集中する、そんな生活をずっと続けていたのではないでしょうか。そしてそういった生活が1万年以上続いたのです。縄文の人のこうした行動の仕方、考え方が私たちのDNAに深く刻み込まれているのではないか、それは縄文の人の生きる知恵だと考えてもいいのではないかと思うのです。
1年中、いつも変わらない安定した状態を保つことを求められるようになったのは、つい最近のことです。表面では現代の生活を送っていても、我々のなかの縄文人が顔を出すこともあるのではないでしようか。
季節の変わり目に体調が変わりやすい、なんとなく調子が悪くなるのも、そこに縄文の生きる知恵が潜んでいるのかもしれない、そんなふうに考えてみてもいいのではないかと思うのです。