長谷川泰子
読んだ本(前回のブログ 師弟 参照)があまりにおもしろく、いろいろ考えたことも多かったので、この本についてまた書くことにします。
前のブログにも書いたとおり、将棋の世界に入るときは必ず師匠につかないといけないのですが、必ず弟子を取らなくてはならないわけではありません。そのため弟子がたくさんいる人もいれば、一人も弟子をとらない人もいます。しかしどうやら、弟子を取ることは勧められることが多いようです。本の中でも、20代の棋士が小学6年生の男の子から弟子にして欲しいと言われ、迷っていろいろな人に相談した上で初めて弟子をとったというエピソードが載せられています。弟子をとれば指導で時間は取られて自分の勉強・研究の時間は減るけれど、弟子がいることで自分も負けられない、がんばらないとと思って気力が沸いてくる、若い棋士から新しいものを吸収できるというところもあるようです。
臨床心理士の世界もスーパービジョンというものがあります。スーパーバイザーのところに行き、一対一でカウンセリングの指導を受けます。将棋の世界のように強制ではないですが、スーパーバイザーにつくことは、特に初心者のうちは強く勧められています。私自身もはじめは2週間に1回、後からは1ヶ月に1回のペースで、15年ぐらいスーパーバイザーのところに通っていました。
自分がスーパービジョンを終えてしばらくたってから、今度はスーパービジョンを頼まれるようになりました。最初は不安もあったのですが、頼まれたのもひとつのチャンスと考えて思い切って引き受ました。その後、次第にスーピービジョンを頼まれることも増えて、今は申し込みがあればできる限り積極的に引き受けるようにしています。
スーパービジョンに通うことは強く勧められていますが、スーパービジョンを引き受けることについて積極的に勧められるようなことは少ないように思います。自分がスーパーバイザーになることを意識しない、積極的に考えていないという人も多いのではないでしょうか。
この仕事はどれだけ続けてもゴールと言うことがありません。学ぶこと、発見することはいつまでたってもあります。自分自身がスーパービジョンに通っていた時にスーパーバイザーの先生が「もっと面接が上手くなりたい」と言っていたのを覚えていますが、自分よりはるかに経験豊富なスーパーバイザーの先生でも、自分と同じように、もっと、まだまだと思うのだと知って印象深かったです。
自分がスーパービジョンを頼まれた時も私はまだまだ指導を受ける立場だと思っていて、自分がスーパーバイザーとなることは考えてもいなかったので、とてもびっくりしたのを覚えています。
もちろん、スーパーバイザーとして指導ができるようになるためには、ある程度の知識や経験が必要です。それもなしでスーパービジョンを引き受ければ、指導を求めて来た心理士、そしてその心理士が会っているクライエントにも良くない影響を与えることになります。少なくとも、自分がスーパービジョンを本当に引き受けることができるのか、ある程度自分を客観的に見て判断する力が必要です。プロだからこそできないことはきちんと断るべきです。しかし経験と知識があって面接を継続できる力があるなら、スーパービジョンの依頼が来た時、それを引き受けることに積極的になってもいいように思うのです。スーパーバイザーとして指導する立場となることで学ぶことも多く、自分はそんな力がないといつまでも避けているのも良くない、もったいないように思います。
大学院を出て臨床の仕事を始めたばかりの頃に、大学院生対象にロールシャッハテストのセミナーをやって欲しいと頼まれたことがあります。院生の頃からロールシャッハテストの勉強は積極的にしていたが、それでも教えるとなると話は別です。必死に勉強し、勉強したことをすぐに教え、教えることで自分も理解して、ということの繰り返しで、まるで自転車操業だと思ったことがあります。教えるためにはなんとなくの理解だけではだめで、きちんと理解していないと相手に分かるように言葉で説明することができません。大変ではありましたが教えるからこそ必死に勉強したわけで、後から考えると自分のためにも良い経験でした。
将棋の世界で弟子を取ることを勧められるのも、弟子がいることで自分にもプラスになるところが大きいという経験を皆がしているからだと思います。自分もスーパーバイザーとなって指導する側にまわることをどこかで意識して仕事をしていると、自分から積極的、主体的に学ぶところが出てくるのではないでしょうか。