もう人に合わせる時代ではない

 西村先生がご自宅で使っていたパソコンから見つかった文章です。

 2016年5月10日と日付が入っていてブログ掲載用の文章だと思われますが、旧ホームページに残されていたブログには該当のものがありませんでした。

 

 ご自宅のパソコンには書きかけのブログの原稿などもいくつか残っていましたので、順次、こちらに掲載します。

 

 

 

 

CN 20160510 もう人に合わせる時代ではない

もう人に合わせる時代ではない

西村洲衞男

 

 小学生の頃、毎朝校庭の隅にある奉安殿に向かって最敬礼をさせられた。時には校区内の一番大きな神社まで歩いて戦勝祈願をさせられた。私たち子どもの将来の夢は軍人であり、お国のために尽くすことだった。お国のために生きていたのだった。

 それが、小学3年生の8月15日終戦となり、青空を眺め周囲に何となく安堵感が広まったのを憶えている。もうB29の空襲もグラマン戦闘機の機銃掃射もない。防空壕も必要性がない。夏休みが終わって学校に行くと、校庭に鉄砲が積まれ焼いたのが残っていた。学校は何となく落ち着かない雰囲気であった。

 お国のためにということは信じられなくなった。戦時中は鬼畜米英と言っていたのに、米兵は友好的でチョコレートを投げて配っているということだった。ジープに乗った米兵は何となく楽しそうであった。

 軍国主義の時代は終わって、民主主義という言葉が流行った。左翼が台頭し労働運動が盛んになった。労働組合が会社の人事労務担当者を話し合いで「吊るしあげ」ることが流行った。資本家と労働者の戦いとなった。平和のための戦いという言葉も出てきたように思う。やはり戦争はなくならないと思った。

 こういう価値観の転換を経験した私たち世代は世の中を斜に見て何も信じられないという態度をとっていると思う。

 今労働組合と言っても大手企業の春の賃上げの話し合い位のものだ。中小企業に労働組合は無く、大手企業の賃上げに合わせている。労働組合も労働者を守ってくれる組合ではなくなった。パートを使い賃金を支払わないブラック企業まで出てくるようになった。契約社員も5年以上雇うと正規職員にしなければならないので、5年経つと首を切られ専門家が育ちにくい職場になった。

学校も成績重視に様変わりした。学業成績が良いこと、スポーツで好成績を上げることが重視され、教育は人材教育となり、人格教育は消えてしまった。勉強や部活に熱心でない者はオタクとなり、学校への所属感はなく、ネットの世界に依存してしまうことになった。

 現代という時代は国も企業も学校も頼りない時代になった。

自分以外の国や企業や学校の価値観に合わせて生きることは安全とは言えない。ネットの世界にはいろいろな人がいるから、そういうところで自分に合う人を見つけて生きる時代になった。ネットの向こうに人はいるが、電源を切れば終わりになる。

 夏目漱石が言った「個人の自由と独立」の時代になったのだ。国家はもちろん企業や学校や家族の期待に添って生きることは自分にとって果たして幸せなのか。そうではないと気づいた人々が不登校やうつ病になっている。落ちこぼれやニートと呼ばれる人々は時代の最先端を生きているのにその本当の問題に気づいていないので困っていると思う。不登校やうつ病は治さずに自分の本当の生きる道を探すべきだと思う。人に合わせないで生きようとすると不登校やうつ病にならざるを得ない。もう人に合わせないで生きる、それがこれからの生き方だと思う。

 自分らしい生き方、それは自分の内面からしか出てこない。だから、わたしは夜見る夢やふとした思いつきで作る箱庭がベストだと思っている。「後10分あるから箱庭を作って!」と呼びかける。考える間も無くひらめきで作る箱庭、それが大切だ。それは夢にも匹敵するものだ。夢や箱庭というたましいの通路を使って人に合わせない生き方をしてほしい。

 

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