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多様性の時代の不登校

長谷川泰子

 

 ここ最近、立て続けに不登校の事例を聞きました。どういうわけかどのケースも共通して、子どもは成績もそれほど悪くはなく、学校では必要に応じてリーダーシップをとることができ、先生にも信頼されているし、友達も多いのです。家庭も安定しており、親は子どもの自主性を大事にしながら放任というわけでもなく、親子で話もよくしていて関係は悪くないようです。子供が学校に行かないと決断し(場合によってははっきりと宣言し)学校を休み始めましたが、生活が大きく崩れるようなこともないようで、最低限の勉強は自宅でやっていたり、友達が遊びに来れば外で遊んだりもしています。親の方は子どもが行かないと言う以上、無理に引っ張っていくこともできないと静観していますが、果たしてこれでいいのかと心配にもなって相談に来た、そういうケースが続きました。

 不登校に関する昔の論文を見ると、例えば親と祖父母との間に軋轢がある、祖父母の力があまりに強く親が子供の親として主体的に行動できない、父親不在という言葉に代表されるように家庭内で父親の存在感がない、親が子供に対してあまりにも過保護、など、不登校の背後に家庭の問題がうかがえるような事例の報告が多かったように思います。“不登校”という言葉もない時代では今の不登校は“学校恐怖症”などとも言われ、神経症的な症状のひとつのようにも考えられていたときもありました。

もう少し時代が下ると、神経症的ではない不登校の存在も指摘されるようになりました。学校に行かないこと・行けないことへの葛藤があまりなく、意欲に欠けた怠学的な傾向も疑われるようなケースがあったり、引きこもりの問題がクローズアップされたこともあって学校だけでなく外界との関係を全て遮断してしまうようなケースが注目されたりもしました。

 冒頭にあげたような最近出会った不登校の事例は、これらとは違った特徴を持つように思いました。子どもの主体的な意志、学校に行かないことを自ら選び取るような自我の強さが感じられたのが印象的でした。

 以前から通信制や単位制の学校、フリースクールなどはありましたが、最近では不登校の傾向を持つ子供に向けた公立の学校ができたとも聞きます。“多様性”を重視すべきだと言われるようになり、子どもの志向にあわせて女子生徒でもスカート以外の制服を用意する時代になってきた今、学校に行かないことを“問題”だと自動的に考えることが果たして本当に適切なのか、改めて考えなくてはならないと思います。

 冒頭にあげた最近聞いた不登校の事例では来談したのは全て親のみでした。親の話を聞いていているとどのケースも子供の主体的な決断を感じ、今この子が学校に行けるようにすることが本当にプラスになるのだろうかと考えました。学校という集団の中で生きることがいつも全ての子供にとってぴったりすることがどうかは分かりません。主体的な意思や考えを強く持った子だからこそ、学校という集団生活の場に違和感を抱くということもありえます。“多様性”ということを考えるなら、主体的な意志を持ち、自分で決断した子どものありようを大事にすることも必要だと思うのです。

 多様性を重視するということは、既製品だけに頼らないということです。服でたとえるなら必要に応じてオーダーメイドの服を作るということでしょう。既製品の場合、すでに出来上がっているものに合わせなくてはならないので、多少のお直し、修正は可能であっても、ちょっときゅうくつなところがあったり、気に入らないところがあったりしても我慢しないといけなせん。しかし、いちいちサイズを測る手間もなければ、たくさんの候補の中からデザインや生地を選ぶ必要もなく、あるものから選ぶだけで気軽で簡単です。しかし、オーダーメイドとなるといちいち自分は本当はどうしたいのか考えて決めないといけません。時間も手間もかかります。人任せにはできません。しかしだからといって自分勝手な理想を押し通すだけでは全体のバランスが崩れてしまう可能性があります。仕立てのプロの意見も聞いて折り合いをつけたり妥協したりすることも必要です。自分だけの服ということで希少価値はあるし、上手くいけば自分に本当にぴったりの個性的な服ができるかもしれませんが、皆と大きく異なる可能性があります。みんなと一緒じゃないと不安だという人だとせっかく作っても着る勇気が出ないかもしれません。「自分が自分であることがつらい」と言ったクライエントがいましたが、自分らしく生きることは時に大きな勇気を必要とします。

 多様性の時代だから学校に行かないのもひとつの生き方だと簡単に割り切ることが危ないのは、それで安心して子どもを突き放してしまう可能性があることです。主体的な決断をしたからこそ、その後が大変になってくるのです。地図のないジャングルに放り出されたようなもので、自分で自分の道を探して歩いていかなくてはなりません。今までは学校で先生の指導について皆と同じようにやっていれば過ぎていたことも、一つ一つ自分で考えて決めていかなくてはならないのです。

 既製品がいいという子どももいるし、オーダーメイドでなければならない子どももいます。その見極めも重要です。既製品の方がよい子どもにオーダーメイドを押し付ければ大きな負担になります。オーダーメイドの場合、手間がかかる分、親もそれなりのエネルギーを必要とします。

 

 子どもが本当に自分らしい道を歩けるように、自分が自分であることを背負い、自分なりの道を見つける喜びを味わえるように、周りの大人も一人ひとりをきちんと見て支えていくことが重要です。多様性の時代だからこそ、自分はどうするのか、主体的に考えることが必要になってくると思います。

 

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