「ラ・ボエーム」について

 西村先生のUSBに保存されていたお手紙です。

 西村先生はオペラが大変お好きで、DVDも沢山持っていらっしゃいましたし、名古屋でオペラが見られる機会があれば、必ずお出かけになっていたようです。

 

 

 

2007年4月6日

藤原歌劇団 岩田様

公演 ラ・ボエームについて

 偶々、東京のホテルで藤原歌劇団公演ラ・ボエームを見ることができました。若手が中心の公演ということでしたが、なかなか声量もあって見ごたえのあるものでした。

 次の点で、これから考えた方がよいと思うところがありましたのでご参考までに。

 それはムゼッタがにぎやかな街にやってきて昔の恋人マルチェッロに会い、現在の恋人を差し置いて、もう一度よりを戻そうと口説きにかかる場面です。なかなか落ちないマルチェッロに業を煮やしたムゼッタは最後の手段として、足が痛い(原語でそうなっているかどうか私にはわかりません)と言います。

 ここで先回の公演では男たちがムゼッタの足をさすろうと群がっていきます。

このシーンには笑ってしまいしました。藤原歌劇団は50回のラ・ボエームを上演しながら、こんなセックス抜きのオペラかと思いました。

 ここではムゼッタは足を高く上げるのだと思います。フレンチカンカンデで演じられるものです。この意味は、私はあなたとセックスがしたい、股の間にあなたのものをぶち込んでというわけです。少々表現がきついけれど、それくらいの意味をラテン系の人びとは感じているのではないでしょうか。

 マルチェッロはその挑発を受けて、私にはまだ青春の熱い血潮が残っていたと歌うのです。マルチェッロはムゼッタの求めに応じたのです。

 日本には「据え膳食わぬは男の恥」という言葉があります。それをフランスでは、「女に求められたら断ってはならない」というのです。ムゼッタは足を上げて要求したに違いありません。足をさするのでは全く意味が通じないのです。

 日本もアメリカも芸術からセックスが抜けています。N響がボレロを演奏すると行進曲になり、カーネギーホールでは愛の二重唱を歌ってもキスをしないのには驚きました。日本もアメリカもピューリタンです。

 しかし、ラ・ボエームはヨーロッパ生まれの芸術です。だから、それらしく伝えてほしいと思います。

 岩波の『図書』最新号に青柳いずみこさんが、「音楽家は悪人?」を書いていますので是非参考になさってください。また、機会がありましたらムーランルージュのごく近くにある性博物館もご覧下さい。ここは撮影自由ということです。また、イタリアで毎年どこかでよく上演されているという『チンチラ』というオペラも藤原歌劇団でやってほしいと思います。私たちがイタリアを正しく理解するために。

 

 私の以上の感想は間違っているかもしれません。もっと違った意図で演じられているかもしれません。私が見たこれまでのヨーロッパのオペラは性に関しては想像以上に自由なので違和感を覚えました。

 貴歌劇団のますますのご発展を祈ります。

 

 西村 洲衞男

 

 

 

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