生きるための心理療法

 先に公開した「これまでの心理療法の基本的な考え方」に続くものです。

 

 

 

生きるための心理療法

 

 心理臨床の経験から心理学の豊な世界をフロイトやユング構築していきました。ロジャーズも内面の生きた感情に触れることを重視し、いろいろな臨床場面で何が大切かを経験的に見出そうとして、行き着いたところは自己一致でした。この考えはキルケゴールが『不安の概念』で主張したこと、「自己が自己自身であるということ」の経験的な裏づけでしたが、歴史を無視するアメリカ人の癖でそれはほとんど主張しません。しかし、ロジャーズがしたことも哲学であったといえます。

 ユングははじめから哲学の素養があったらしく『人間のタイプ』に自分の考えを書いて立ち上がってきたとき心理学用語定義集をまとめています。ユング心理学を理解するのにとても便利な定義集です。この哲学的な定義集で理解できるユング心理学は錬金術も含め、フロイトよりはるかに広い心の世界を探求したといえます。

 これに対して河合隼雄は昔話や神話人々の心の実際生活に密接につながっていることを明らかにしました。フロイトもユングも神話や昔話が人間の心理に深く関係していることは指摘したのですが、実際生活の機微に触れた物語の豊かさを人々にわかりやすく説明したのは河合隼雄の功績だと思います。フロイトやユングの本を読むと心理がわかりますが、河合隼雄の本を読むと心が癒されます。そのわけは実際生活の機微を物語に結びつけて語ったからです。物語ることによって心が癒されます。

 河合隼雄は人生をどう物語るか、どのような物語を生きようとするのかを考えるところに行き着きました。そして明恵の『夢記』の研究から夢を生きることが自分の物語を生きることになることを明らかにしたのです。夢は自分の心を物語っていますから、夢を深く感じ取ることで次第に癒されてくるのです。

 ここに河合隼雄は、明恵の『夢記』の研究から夢を生きることが自分の物語を生きることになることを明らかにしたと書きましたかが、「研究から」と因果的に考えることは正しいとは言えません。河合隼雄はつねに因果論を排していました。心の現象は因果論では説明できないという考えが信念のようにあったと思います。昔話や神話、そして夢を心の中で深く味わい考えているうちに発酵してきたものが物語法だったと言えます。

 河合隼雄は心の生活を物語として捉え、自分の物語をどのように生きるかを考えたと私は思います。このような考えの先生のプロセスの傍らを通ってきた私は自然に人生を如何に生きるかという心理療法の考えに沿っていることがわかりました。

 人生を如何に生きるか、多くの場合、選択の余地無く、両親が作った家庭で、父親の文化、母親の文化、あるいはその土地の文化などに強く影響されながら生きています。自分が選んだ結婚相手さえも両親との関係に規定され、結婚しなかった独身の生活であっても、ほぼ選択の余地無く、なるようになってきているのです。神経症も境界例も不登校も自分の責任ではなく嵌められてしまったものです。言わば、自分の人生の下書きはほぼ出来上がっているのです。ですから私たちにできることは自分が嵌められている人生の物語の設定はどんなものであるかを知ることから始めなければなりません。

 その人の人となり、そしてこれまでに歩んできた人生の有様を物語としてみて、調べ上げると、その人がどのような気持ちで生きてきたかが次第にわかって、様々な年代の心理が感じられてきます。それが心理査定です。ここには病の診断もありますが、私たちは病も、才能も、不運も幸運も背負って生きている人の物語の一面を知ることになるのです。

 したがって、私たちの心理療法の基礎は心理査定にあるといえます。

 人はどのような状況で、どのような運命に捉われ、どのように生きようとしているか、それを心理面接で明らかにしながら進んでいくのが、新しい立場の心理療法です。

 心理的な傷つき、コンプレックス、神経症的症状、意欲の低下などなどいろいろありますが、それらの悩みをきっかけとして、如何に生きるかを考えることに重きを置いていきたいと思います。

 このような内面の心理の物語を知るには夢と箱庭が最も効果的だと感じています。

そして、夢見や箱庭制作の仕方もとても大切です。ユングも夢分析で語っていますが、かかわるカウンセラーによって夢見や制作する箱庭の表現内容が違うのです。

古代ギリシャのアスクレピウスの神殿に詣でる人は、医神アスクレピウスに救いを求めました。長谷寺に詣でる人はあの厳かな観音様に救いを求めて参籠しました。だから医神や観音様に救われたのです。でも私たちは神や仏には到底なれません。

 クライエントは何に祈って夢を見るのでしょうか。やはり救いの神を求めて祈るような気持ちがあると思います。私たちカウンセラーの役目は神殿の神官や寺男のように祈る人のお世話をする役目ではないでしょうか。その役目は救いを求める人の問題をまっすぐに救いの神に向けてやることではないかと思います。それでも役目のあり方によってクライエントの姿勢も違ってくるのではないでしょうか。

 本当の問題は何かがさっぱりわからないこともあるのでそれを明らかにすることもカウンセラーの重要な役目だと思います。さっき述べた査定、人はどのような状況で、どんな運命に捉えられ、どのように生きようとしているかを明らかにすることが重要です。

 しかし、一方で問題を明らかにしすぎるととても負担になりすぎます。それを程よい加減に保っていくことはとても大事なことです。私たちカウンセラーにとって大切なことは祈り続け、考え続けることだと思います。心の問題は次々明らかになってきますから、これでわかったというところがありません。

 その問題探求の進み方は夢見に任せておくととても楽です。夢はその回に話すべき話題や注目点を大体用意してくれます。夢の心の采配は見事なものです。箱庭制作ではあまり解釈せず、ただイメージの出る有様を見守っていくこと、自ずから明らかになってくるところがあります。イメージの出方がたりないと思うときも、もう少し深く理解しようとして夢や箱庭の内容を解釈すると、それが問題を背負う人には負担になることがあります。わかるカウンセリングよりもわからないことや不安なところに関心を抱いていくことも大切なことで、また、次にはどんな展開があるかを期待していくことも一つの方法と言えます。 

 

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