長谷川泰子
面接に来られた方が部屋に入るときや面接室の椅子に座るときに、こちらに向かって「お願いします」と言うことがしばしばある。
自分自身もスーパービジョンや教育分析に通っていた時は、お願いしますと言っていたと思う。自分が言う分には全く違和感を持たない。しかし言われる側の立場では、長い間この“お願いします”の言葉になんとなく引っ掛かりを感じていた。何と答えていいのか分からず、どうも落ち着かないのだ。
お願いしますと言われてなぜ違和感を抱くのか改めて考えてみると、私はカウンセリングはお願いされるようなものとはちょっと違うと思っていることに気がついた。
カウンセリングは話をきいてこちらだけが一方的に何かをする(例えばアドバイスをしたり、薬を処方したり、など)ものではない。もちろん専門家である以上、臨床心理学的な知識や経験に基づいた見立てを行い、専門家として適切・必要と思われる対応をする。良い面接ができるよう、技術の向上のための研修も欠かさない。しかしやはりカウンセリングはカウンセラーの努力だけで成り立つものではなく、来談する方とカウンセラーの協力が重要で、一種の共同作業の上に成り立つものだと感じる。お互いに思うことや感じることを率直に話し、どうしたらいいか一緒に考える。相手の様子や雰囲気に触発されて生まれてくるアイデアや考え、見えてくるイメージもある。意識的・無意識的なやりとり、来談する方とカウンセラーとの関係性の中から新しいものが生まれ、今までと違った方向性が見えてくるのではないかと思う。一人で考えるのではなく、直接会って話し合うことの意味がそこにある。
「お願いします」と言われてどう答えるか、どうしたら自分はしっくりくるのかあれこれ考え、だいぶ前から自分も「お願いします」と言うようにした。そうするとこちらも毎回新鮮な気持ちになってすんなり面接の中に入っていける。「お願いします」とお互い軽く頭を下げたりすると、柔道や剣道などでの試合の前に選手が礼をしているようなイメージにも近いなと思ったりもしている。もちろんカウンセリングは試合や勝負ではない。でも、毎回、今日の話し合いがどういう方向に進むのか分からないところは、試合前の軽い緊張感に似たところはあるのかもしれない。それにカウンセリングは、日常から少し離れたところで普段は触れられないこころのより深いところに触れる体験だ。いつもではないが大事なところでは“真剣勝負”のような雰囲気が生まれることもある。
自分もお願いしますということで、毎回始まりの新鮮な気分を味わっている。自分なりの面接の作法の一つだ。