長谷川泰子
今年も干し柿を作った。昨日は午後の時間全てを費やして、100 個以上の渋柿の皮をむき、軽く酒に浸し、紐にくくりつけてつるした。
実は干し柿はあまり好きではない。毎年1つ2つ味見程度に食べるだけだ。家人が干し柿が好物なので、作った干し柿は全て確実に消費される。
柿を作るというとあんな面倒なこと良よくやるねと言われる。自分では食べないと言うと、なおさらなんでわざわざ、と思うのだろう。
干し柿は食べないけれど、ただ干し柿作りが好きなのだ。面倒だが、難しいことは何もないし、特別なテクニックも要らない。同じ作業を繰り返していれば確実に結果が出てくる。こういう地道な作業が嫌いではないのだろう。
昔、「治療構造論」という考え方が大きく注目されたことがあった。文化人類学者のレビィ・ストロースが提唱した「構造主義」という新しい視点が文化人類学だけではないさまざまな分野にも大きく影響を与えていた頃だ。「構造主義」というのは中身ではなく“構造”、つまり外枠に注目するもので、極端に言えば、外が内を決める、外の構造によって中身も決まり物事が動いていくという考え方である。
構造主義という考え方が出てきた時は大きなブームが起きたように記憶している。「構造主義とは何か」というような解説本も沢山出た。臨床心理学の分野でも構造主義の考えが取り入れられて「治療構造論」という視点が生まれたのである。よい結果をもたらす重要なファクターとして面接の時間や頻度などの面接の外枠、“構造”をより重要視するようになったと言えるだろう。
大学院生の頃、「構造主義」という言葉は知っていたものの内実はさっぱり分からずにいた。臨床心理学にとっても大事な本だからと西村先生にレビィ・ストロースの「野生の思考」を読んでおくようにと言われ、やっと構造主義がどういうものかを知った。難しい本で、よく分からないところもたくさんあったが、これを読むと構造主義がそれまでとは全く違うところに視点をあてていることが分かり、なるほど構造主義という考え方はすごいなぁ、とちょっと感動したのも覚えている。あの時の感動を味わいたくなって、今でもたまに「野生の思考」を手にとってみることがある。相変わらず難しい本だが、視点を変えることで見えてくるものがある、それを分からせてくれるような本だとも思う。
構造主義の考え方からすれば、構造が中身を生み出し、外枠が中身を決めることになる。もちろん、現実的には構造・外枠が全てではないだろう。面接の構造が大事だといっても、構造・外枠のことだけ考えて、中身を充実させる努力をカウンセラーが怠れば形だけの面接になってしまう。しかしそれとは別に、カウンセリングも通い続けること、同じところで同じ人と、同じように話し合いを重ねること、その同じことの繰り返しの中で、生まれてくる何かがあるのではないかと考える。変化を促すエネルギーが沸いてくるところもあるのではないか。
延々と渋柿の皮をむきながらこんなことをとりとめもなく考えてみた。